花見についてのアイデア・ソメイヨシノ以外の選択

日本中にある桜のうち、一番人気のあるのはソメイヨシノでしょう。見事に咲いて、一気に散る。色も清潔感がある薄い色で、日本人好みの一因だと思います。ところがご存知の通り、この桜は咲いている期間が短くて、満開予定日に雨が降ったりすると、その年の花見は実質的に中止になるんです。花見にかこつけて集まって飲みたい一般の人は、代わりにいくらでも理由を作って飲めますが、花見をあてにして商売している人、地域の観光収入をあてにしている人にとっては、その週末に雨が降るだけで準備が無駄になるのですから深刻な問題です。
解決案を早々と出してしまうと、ソメイヨシノ以外の桜を増やしたらどうですか、ということです。

たとえば八重桜のような、比較的長い時間、満開状態が続く桜であれば、その前後を含めて、3週間程度の花見期間が取れるのではないでしょうか。ソメイヨシノはたった一回の週末の雨でその年の花見祭りが中止になる、という事を考えれば、経済的にみて数段、手堅い体勢だと思います。
ソメイヨシノじゃなければダメだ、という意見もあるでしょう。似たような意見は色々な場面でみられます。

昔、自主映画をフィルムで撮るかビデオで撮るか、という選択をしていた時期があります。画面の質感という点では確かにフィルムに魅力がありますが、制作費はフィルムで作った場合、数十倍になります。それでも通ぶってフィルムにこだわると、大抵の場合、資金難で未完成に終わります。成果はゼロです。 この、「ベストでないならゼロの方ががマシ」という選択を安易にしてしまう人が多いことに驚きます。
一方、画質に難はあっても、ビデオで撮影する事を選択すると、少なくとも資金難で制作中止ということは起きません。仮に画質に味がない事が減点されても、成果はゼロよりはるかにマシなのは明白です。「ベストではないがゼロよりはマシ」という選択です。
結局、 「ベストでないならゼロの方ががマシ」という選択ばかりしていると、高い理想を追っていていいことだ、という自己満足だけ、募っていきます。 「ベストではないがゼロよりはマシ」という選択で小さな成功体験を積み重ねている人を、妥協ばかりしている、と蔑むきらいがあります。
もし、地域の活性化のために花見公園を作ろうと言う人は、その辺を考えて是非、八重桜を植えてみるとよいと思います。

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