監督が出演者になって分かること
監督自らが出演者になると、役者のスケジュール管理が一人分楽になって、撮影のペースが上がります。
これは大きなメリットなので、私も大抵、自分の作品には出演しています。
ただ、今回は別の観点から、監督が出演する意義について話してみたいと思います。
「自分も出演したい」「出演しても良い」という人と、「出演は嫌だ」「製作者側に回りたい」という人に分かれます。
もし、あなたが、「自分は出演はしたくない」という人だったとしても、私は、自ら出演する経験を持つべきだと思っています。
監督としての手際も悪くて、色々な面で未熟なうちに、「演技ができる役者さん」を使って映画を作ってしまう人がいます。
作品はそれなりに「様」になりますが、これはオススメしません。
まず、自分も演じてみて、「演じる側」の経験をすると、色々と分かることがあります。
例えば、私が他人の映画の撮影現場を手伝ったりする場合に、「良くないなあ」と感じることがあります。
監督は、「よーい、スタート」という合図で出演者に演技をしてもらって、そのカットが「OK」か「NG」かを判断します。
その時に、「どこを失敗した、ということははっきりはしないんだけれども、何か違う」ということはよくあります。
そういう場合は、「もう一回やってくれ」ということになるんですが、具体的な指示を出さずに、ただ、「もう1回」という監督が非常に多いんですね。
自分で答えがわからないので、指示ができないんです。
そうすると、ある程度の技量を持った役者は、「何が正解だろうか」ということを探りながら、少しパターンを変えて演じてみたりするんです。
しかし、それは完全に「役者頼み」なんですね。
役者が正解を探してくれることにに頼りきっている。
これは、やっぱり良くないんです。
「何か違うな」と思った時に、どう指示を出すか。
監督であるあなたは、正直に、
「自分は今、答えがわからないけれども、ちょっと違う気がする」
「試しに、もう少しテンポを早くして、台詞を言ってみてくれないか」
とか、何か指示を出さなければいけないんです。
それで、やってもらって、「ごめん。今の指示は正解じゃなかった。今度はこういう風にやってみてくれ」という風に、一緒に試行錯誤した方が良いと思います。
ところが、その提案ができない人というのは、ただ単に「もう1回」「もう1回」と繰り返し演技をやらせるわけです。
そうすると、役者に能力がある場合は、偶然うまくできることもあるでしょう。
しかし、再現性はありません。
役者に表現の引き出しがない場合は、本当に繰り返し同じ演技をするだけです。
そして、段々と演技は不自然になることがほとんどです。
自分が役者の立場になってみると、これがよく分かります。
例えば、映像仲間が新作を作る時は、何かの役、セリフのある役で出させてもらいましょう。
「もう一回」と言われても、役者でないので、「何をどう変えればいいのか」という引き出しがないはずです。
「どうすればいいか、言ってくれよ」という感覚になります。
この経験をすると、自分が監督をする時に、
- もう少し間を詰めてくれ
- 感情を少しオーバーに
- 逆に感情を抑えた感じに
という指示が出来るようになります。
結果的に、試行錯誤の方法の引き出しが増えて、答えを探しやすくなります。
それと、何事もそうですが、自分でやってみると謙虚になれます。
例えば、テレビドラマや映画を見て、素人の人は、
- なんだあの演技は
- あの棒読みはひどい
- 演技がくさい
そういった批判を簡単にします。
ところが、それが高じていくと、「あれよりは自分の方がうまくできる」というような、とんでもない勘違いをすることになってくるわけです。
世の中の批判の殆どは、そういう勘違いが元になっていませんか?
自分が、役者として慣れない演技をしてみると、
- いかに思い通りにできないか
- セリフをしっかりと覚えて
- 相手に合わせて、その世界の中で演じるということがどれだけ難しいか
- テレビを見ていて、下手に思えた役者が、あそこまで形にするためにどれだけ練習をしたのか
ということが分かってきます。
自分の実力以上に「驕りの気持ち」を持つと、いいことは何もないんですね。
ほとんどの場合は、自分で体験してみると、その難しさが分かります。
そういった意味でも、自分が演じる側に立つことが非常に貴重な体験となると思います。
参考になれば幸いです。
ご自分でも映画を作ってみたい、という方は、是非、無料相談にご連絡ください。
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