テラノバと黒澤明
「テラノバ」はアメリカのテレビシリーズ。スピルバーグ印ながら予算オーバーが原因で打ち切りになった、いわくつきの作品。低価格のDVDセットが出ていたので購入して一通り観た。
ストーリーはタイムトンネル技術を確立した近未来、恐竜が棲む中生代に開拓者が移住して、様々なトラブルに対処していくというもの。
ただ、星野之宣の「ブルーホール」的な恐竜時代のサバイバルを期待すると、その要素は全くない。何しろ開拓村・テラノバはハイテク機器だらけで、連絡は携帯電話。恐竜も飾りとして時々出てくるだけだから、見所はロケ地の景色と、セットの出来。
登場人物が誰もかれも陰の部分を持っていて、深みを出そうとしたのだろうが、誰も好きにはなれなかった。こうなると、頭のなかで勝手に再構成して話を楽しむのも難しい。
本作品は予算を掛けすぎて打ち切ったため、全くのシリキレトンボで終わっているが、これはある意味では正しい判断だ。
黒澤明の「七人の侍」は良くできた面白い映画である。ただ、この映画の成功は悪い前例も作った。
「七人の侍」は当初の予算を前半部の撮影に使い果たしている。それはわざとだと言われている。はじめから2倍の予算を提示すると企画が通らないので、半額で出来るような嘘をついて、きっちり前半だけ撮って、完璧に編集して会社に見せたのだ。ここで打ち切りますか?残りの資金を出しますか?と。確かに物語は面白いし、後半も見たくはなる。
しかしである。それは反則というものだ。
現に、ルール違反の前例を作ると黒澤は付け上がるから、制裁の意味も込めて打ち切るべきだ、という声もあったそうだが、結局、予算を追加し映画は完成した。そして世界中の映像作家が、この反則事例を「成功例」として捉えている。
「テラノバ」の制作者達が「七人の侍」を意識したかどうかは知らないが、元々、評判によっては打ち切りが珍しくないアメリカのテレビシリーズで、強引にでも最終回的な要素を入れることもなく、中途半端に終わっているのをみると、まさかここで打ち切ることはしないだろう、とタカをくくっていたのではないか。そして会社側は「ここまでつぎ込んだんだから、回収するまで予算を追加しよう」という、ダメギャンブラー的判断はしなかったということだ。
まあ、率直に言って、その後の展開で面白くなる気はしなかったが。
アメリカドラマのストーリーのひっぱり方には、腹が立つ事が多々あります。
人気ドラマでも最終回のいいところぶっつり終わり。次シーズンの冒頭10分で事件解決。次の事件に雪崩れ込む…。
それにウンザリして見なくなったドラマあります。
アメリカの人的には、O.K. なんでしょうかね。