キャラクターを好きになったら、何でもOK
普段、創作活動をしていて「面白いストーリーとは何だろう」ということはよく考えます。もちろんそれは複合的な要素が絡み合っていて、中には、シナリオとしてはさして面白くも無かったり、不自然なのかも知れないが、映像作品になったときに、間違いなく面白く感じるというものがあります。
例えば、「バック・トゥー・ザ・フューチャー」という映画などは、ストーリーが面白くて大好きです。
しかし、やはり大好きな「バグダットカフェ」という映画は、ストーリーを他人に話して、面白さが伝わるとは思えません。
その実例を見て「結局、シナリオでは面白いかどうか分からないのだから、それを練っても無意味だ。とりあえず撮影しよう」という考えの人もいます。しかし、私はそれをしたくはありません。例え勘違いだったとしても、自分で「これは面白い」と思えるものを用意しないと、不安で制作作業が進みません。
最近、「面白いストーリー」という事を追求するのはいいとして、最優先すべきなのはそこでは無い、と思うことがよくあります。
「面白いストーリー」というものの要素を挙げていくと、例えば
・先が読めない面白さ
・予定調和な面白さ
というような相反する要素が出てきてしまって、じゃあ、自分は何を心がけて考えればいいのか、訳が分からなくなります。
ただ、面白いと思った作品について、共通して言えるのは、「主人公を好きになった」という事です。
主人公を好きになれなかった場合、その作品自体は良く出来ていても「よく出来ていた」という評価しかしていない事に気付きました。
例えば、古い作品ですが、大林宣彦監督の「転校生」という作品では、主役の小林聡美が本当に魅力的で、決して美少女ではないにも関わらず、多くの観客が「好きになって」見ていたと思います。
比較的最近の作品では、少女マンガ原作の実写映画「君に届け」という作品などは、「ベタ」で、ともすれば見ていて恥ずかしいシーンも多い筈なのですが、主演の多部未華子の魅力で、そのキャラクターを「好きになって」見てしまうので、印象としては「面白い」のです。
ごく最近、「謎の彼女X」という漫画をたまたま見てすっかりはまってしまったのですが、これらも設定等、他人に魅力を伝えるのは困難で、「何でこれが好きなの?」と聞かれても、とにかく登場人物を「好きになって」しまったとしか言いようがないのです。隠れてアニメも見ています。
そう考えると、ストーリーを考えるときに全力を注ぐべき事は、面白い筋や設定を考えることではなくて、「主人公を好きになってもらうにはどうすればいいか」だと思います。
それができると、「まあ、よく出来てる」という評価から、一つ上の「面白かった」というシンプルな評価をもらえて、作り甲斐もある、という事になるのかもしれません。
ちなみに「主人公を好きになってもらうにはどうすればいいか」の方法はまだ分かっていません。分かっていれば、それを応用して、もう少し、自分にも友達が多く出来ているのかもしれません。