風間杜夫落語会観賞

風間

先日、自宅から5分の施設で、俳優の風間杜夫さんの落語を観賞してきました。 この人は落語が大好きで、ずいぶん前から本格的にやっているというのは知っていたのですが、落語のあとのトークショーによると、誰かの弟子になるわけでもなく、稽古をつけてもらうだけでもなく、独学、自主練でやっている、という事を聞きました。 落語は2つの演目があったんですが、素人から見て、十二分に面白く、楽しめました。

この「素人が楽しめるかどうか」というのは、実は大事で、レベルの高いことだと思うんですね。「マニア」というのは、みんなとは言いませんが、枝葉の狂いにうるさい割に、こだわりの部分さえ価値観が合えば、幹の部分の問題には驚くほど甘かったりします。裸の王さまではありませんが、素人は「これ、そんなに良いもの?」と素直に疑問を持っちゃうんです。子供なんかは分かりやすくて、飽きてくると態度で分かります。だから、素人が楽しめた、ということはまず、間違いなく及第点なわけです。 プロの落語家との差がどれだけあるのか、ないのかは分かりませんし、あんまり興味はありません。

この地元の小さな劇場は、無料の公演でも満席になることはないのですが、この日は2階席まで一杯でした。

トークショーで共感する話がありました。

落語を見たプロの落語家に「どこかに入門しなさい。その実力ならすぐ真打ちになれます」と勧められても断ったそうです。理由は、「落語家になりたいのではなくて、落語家の真似をして、落語をしたいからだ」と。つまり、師弟関係を結んで、独特の世界に入っていきたい訳ではない、ということです。入門して本物の落語家になると、新人のうちは、羽織を着て高座に出ることも出来ない。しかし、やりたいのは、名人と同じように、話している途中で羽織を脱ぐ仕草だったりする、というのです。

この話は、私が探検隊の真似をするのが好きなだけで、本当の登山とか探検に行きたい訳ではない、という心理と共通する部分です。非常によく分かります。

この落語会、チケットは演劇のように高くはないので、有名俳優の商売という見方をすると、大した規模ではないのかもしれません。実際、映画やドラマ、舞台で活躍を続けている人気俳優ですから、この公演による収入が目的とは思えません。独特の緊張感を味わったり、たった一人で稽古することによる副産物としてのメリットが大きいのだとは思います。

それでも感心したのは、「弟子入りして」「人に稽古をつけてもらい」「高座に上がらせてもらう」というパッケージに乗ったのではなく、自分一人で自分なりの練習方法を考え出して、結果、落語会という独自の商品を開発、販売している、という逞しさです。

趣味でやることで金を儲けることを良く思わなかったり、舞台演劇は貧乏こそ美徳、というような風潮がありますが、見方によればそれは、「大して儲かってないんだから、これくらいの出来で許して」という甘えがあるとも言えます。

それに比べて、自分が好きなことをやって、レベルを上げ、それを商品にし、購入した顧客に満足感も与え続けている、ということが立派だなあ、と思うのです。

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