藤原竜也探検隊?
この2015秋公開の映画のニュースが出ていました。原作小説は「探検隊の栄光」。
元々、川口浩探検隊のパロディー的な場面が満載の小説なので、恐らく、誰もが想像するであろう、お約束の場面や展開が多くなると思います。
ただ、川口浩探検隊をコメディーとしてパロディーにするのは、学生映画でもできることです。実力派俳優の藤原竜也が主演なので、単なるバラエティー番組的な作品になっていないことを祈ります。
ただ、川口浩探検隊をコメディーとしてパロディーにするのは、学生映画でもできることです。実力派俳優の藤原竜也が主演なので、単なるバラエティー番組的な作品になっていないことを祈ります。
このところ、雑誌で川口浩探検隊に関するプチ鹿島氏の連載が始まったりして、何か、探検隊の持つ価値のようなものが感じられているようで、嬉しく思います。
探検隊の価値って何かなあ、と改めて考えてみます。
「探検」とは、探って検べる(しらべる)訳で、そもそもが知的好奇心を満たすための行為なんですよね。未知のものを知りたい、不思議なものを見たい、というのは本能的な欲求で、健全な欲望だと思うのです。
しかし、実際には多くの人は探検に行くことが出来ないし、探検という事に接することも出来ない。
そんな中、テレビの企画であって、学術的な本物の探検ではないものの、川口浩探検隊は、我々の本能が持つ「タンケンゴコロ」を刺激してくれたのです。それだけでも価値があったと言えるのではないか、と思います。
ところで、先日、静岡県の日本平動物園に行って、「道具を使う動物」という看板を見ました。昔は「道具を使うのは人間だけ」と言われていたようですが、類人猿はもちろん、鳥も道具を使います。その中の一つ「キツツキフィンチ」というガラパゴス諸島に生息する鳥は、細い木の枝を道具にして、木の幹から虫をつつきだして食べるのですが、その映像を世界で初めて撮影したのは、水曜スペシャル・川口浩探検隊なのです。看板を見ながらそれを思い出しました。
「所詮は探検ごっこでしょ?」と言われる川口浩探検隊ですが、時々、ちゃんと「探検」してるのです。
あの、虚実入り混じったところが、私は好きです。