特撮映画としての「進撃の巨人」
異世界の表現が巧みになってきた邦画
決して始めに言い訳をするつもりはありませんが、完全無欠な映画など存在はしません。
また、短編小説の映画化と違って、長い原作もののストーリーを劇場映画にまとめるのは、それだけで離れ業だ、という事を知っておいてもいいと思います。
実写版「進撃の巨人」
冒頭、科学技術が退化した近未来の街の描写に圧倒されます。
これは本当に日本映画なのか?
古き良き映画時代にはあったのかもしれませんが、この街の美術と人の活気の本物感は、ちょっと最近では、見たことがありません。
「本格映画」の魅力があります。
「映画は所詮作り物」と頭では分かっていても、全くハリボテ感のないオープンセットのシーンが続くことで、この映画が特撮映画でありながら、小手先の合成技術をひけらかしたり、ごまかしのために特撮は使わないぞ、という宣言に思えます。
「あしたのジョー」もオープニングの街の描写は素晴らしかった。
工業化によって高度成長期に入った日本の、工業地帯の街の様子が非常にリアルに描かれていました。
最近は、日本映画の、特に冒頭シーンの美術の良さには目を見張る作品が増えたような気がします。
そして、この映画の重要なモチーフのひとつである「巨大な壁」のある風景。
この辺りは当然、合成を駆使して描かれるのですが、異世界を印象づけるのに十分な魅力があります。
特撮の楽しさのひとつは、この「異世界」を生まれさせることです。
特撮の神様、ハリーハウゼンの映画なども、個々のクリーチャーのリアリティーはもちろん、独特の異世界を定義付けるのに、特撮を有効に使っています。
この映画は賛否両論に評価が割れていることでも話題ですが、「映像的にはベストを尽くして結果を出している」と私は思います。
そして、これでもか、と巨人が登場するのですが、これが純粋な「特撮」!
3D CGなどではなくて、「物理的な対象がそこにいる」という質感がすごいです。
これは、どういうことか考えたんですが、やっぱり、プログラムでは計算できない誤差の積み重ねがリアリティーを生むんでしょうか?
つまり、オーケストラで20人分のバイオリンが同じ音を出すとして、代わりに一人分の音を20回分重ねても、恐らく「音の深み」がちょっと違うはずです。
巨人がジャンプして着地するとき、
- 肉が揺れる
- 髪の毛が波打つ
というのは、3DCGでも、乱数的な揺らぎも含めて、かなりリアルに描けるようにはなりました。
でも、それはあくまでも「自然に見えるプログラム」に過ぎません。
実際に撮影できるのであれば、巨人の扮装をした人を撮影した方が、得られるメリットが大きい事を証明していると思います。
劇中ではかなりグロテスクで絶望的な場面も多くありますが、恐らく、撮影の状況は楽しかったと思います。(役者はきつかったと思いますが)
もし、このシーンをフルCGで作っていたら、特撮の神様、円谷英二監督は「それで楽しいか?」と聞いたかもしれません。
しかし、この映画の特撮に関しては、喜んでくれるのではないでしょうか。
クライマックスの巨人のアクションなど、本来はCG映画で得意とするシーンですが、実写ならではの生々しさもあいまって、迫力面でも素晴らしい出来だと思います。
特に、画面としては新鮮味のない「怪物と人間を1つの画面に合成する」という、古典的な映像のクオリティーの高さは前例のないレベルだと思います。
かつて、手持ちカメラのぶれた映像のなかに、フルCGのリアルな恐竜を完璧に合成させた「ジュラシック・パーク」は間違いなく映画のエポックメイキングになりましたが、この「進撃の巨人」もCGではない、新しく生まれ変わったアナログ特撮として、将来、エポックメイキング的作品と認識されると思います。
この映画に酷評が多い事は事実で、主張も確かに的外れではないでしょう。
しかし、エネルギーを使ってみんなと一緒に批判して、脳内に「ニセの快感」を与える事が虚しいことだと、そろそろ気付いても良いと思います。
乱暴に言えば、映画は見世物です。
見て楽しむのが観客の目的です。
私にとっては「CGを使わなくてもここまで出来るのか!」という、映像的な感動を味わった映画でした。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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