邪道の中にある本質
何事も本来はシンプルな仕組みのはず
私は楽器の類は全然出来ません。人の演奏を見ていると、「楽しそうだな。気持ち良さそうだな」と羨ましくなる事もありますが、他にやりたいことも多いし、難しそうだから挑戦はしてません。
ところが、「所ジョージ ギターなんか誰でも弾ける教室」という番組を観たんですが、音楽素人の私には目から鱗の内容でした。
要は、「ギターのコードなんか覚えなくても、楽しく弾けるよ」という事です。
番組の中では、ギターの弦を一箇所だけ押さえるだけで「それらしいコードに聞こえる」ということを実演していました。
もちろん、6本の弦を全部はっきり弾いてしまうとおかしな和音になるので、手前の3本だけ「何となく弾く」のがコツというのです。
実演を見ると、確かに「それらしい」。
話は、ギターの仕組みにも及びます。
ギターのコードというのは、素人からすると何とも複雑な押さえ方に見えるのですが、実は、一つの押さえ方のまま指をスライドすると、同じ和音が出ると。移動距離を短くしたり、より響くいい音で同じ和音を出すために、複雑なコードの押さえ方をしてるらしいんですね。
話の中で尤もだと思ったのは、「まず、コードを覚えてから次の段階に入りましょう、では、ギターがつまらなくなっちゃう」という話です。
正しくギター演奏を習得するなら、正しいコードを一つ一つ練習するところからはじめるのが「王道」でしょう。
インチキな、それらしい音を簡単に作ってギターを弾くことは、「邪道」かもしれません。
しかし、目的が「完全に正しい演奏をすること」ではなく、「演奏して楽しむこと」だとしたら、「邪道」こそ、理にかなった方法であって、むしろ求める本質が手に入ることなのではないでしょうか?
これは、「楽しい映画作り」を実現させる上で私が実践している「邪道映画術」にも通じる話だと思うのです。
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