非常識な短時間で映画を撮影する方法
忙しい現代 立派な芸術論では創作が実践できない
私は趣味で自主映画を作っているので、映像作りの楽しさというのは知っています。
映像を作ろうとしたときに、その方法は多かれ少なかれプロのやり方を真似る事になるのですが、その教則本は、半分はプロを目指す人が対象になっているようで、映像のルールはこういうものだ、とか、カメラマンたるものこういう心構えでなくてはいけない、と言ったようなニュアンスの事が書かれていることがあります。
撮影方法、録音方法など、プロの所作を真似たい人はそれに従えばいいと思います。
しかし、プロを真似るのが目的でなくて、あくまでも映像を作って狙った効果を出す、というのが目的であれば、全く別のアプローチがあると思います。
私はそれを「邪道映画術」と呼んで、コツコツまとめています。
ビデオカメラやデジタルカメラが普及して、安価なPCを使って無料ソフトで映像の編集までできる時代です。
もっともっと気軽に映像作品を作って、YouTubeで発表するなどして楽しめるようになってもらいたいと思います。
実は「邪道映画術」を意識する理由は、他の人に映像作品を作ってもらいたい、という以前に、自分自身の製作ペースを上げたい、という目的もあります。
大抵の場合、ストーリーのある映像作品を完成させるためには1年から数年かかってしまいます。
ところが作りたいものは次から次へと出てきます。
オーソドックスなやり方をしていたら間に合わないのです。
例えば、出演者が3人いて、共演シーンがある場合、スケジュールを合わせるのも一苦労です。
一人は午前中に用事がある、別の一人は午後に用事がある、とすると、3人が揃う時間は1時間しかないということはよくあります。
1時間ではせいぜい5、6カットしか撮影出来ませんから、15カットのシーンを撮りきるためには3回集まらなければなりませんが、それも非現実的です。
3人が1日空く、都合のいい日を待つ事になるでしょう。そんな感じでスケジュールはどんどん後ろに延びていってしまいがちです。
邪道映画術では、このスケジュールの下でも当然のように1日ですべて撮りきります。
事前に絵コンテを吟味しておけば、どうしても3人が同時に写りこむ5、6カットを3人が揃っている1時間にまとめて撮ることが可能です。
というか、3人が一緒に映るカットを5、6カットに抑えてしまう。
一人しか映らないカットは、その一人しかいないときに撮ってしまうというように、かなりバラバラに撮影するのです。
勿論、役者同士の気持ちが繋がった芝居が出来ないとか、マイナス面はたくさんあります。
芝居が最優先、という演劇論好きの役者の人には受け入れがたいでしょう。
ただ、作品の完成が最優先の製作者としては、役者の満足感を優先させるためにスケジュールが延びたり、その積み重ねによって企画が倒れるという事の方が受け入れがたいのです。
大切なのは、この邪道映画術を使えば、その日に撮りきることが物理的に不可能だったシーンが撮りきれる、ということです。
この積み重ねによる生産性の差はとてつもなく大きいです。
これは価値観の問題にもなりますが、次々にやりたいことが湧いてくるのに、実行が追い付かない、と思っている人には極めて有効だと思うのです。
「100%納得できるものでなければ、作らないほうがマシだ」という価値観の人以外にはオススメです。