特殊な才能が無くても出来る創作の趣味
最重要の「才能」は「ヤル気と行動力」
最近、つくづく思うのは、現状に満足していないと言いながら、その現状を変えようとしない人は、とことん変わらないんだなあ、ということ。
自分は現状維持でいいと思って、実際には緩やかに衰退していく、ということを、達観して受け入れているだけならいいんですが、厄介なことに、そういう人の多くは、行動しようとする人に対して、「リスクがあるからやめた方がいいよ」と、さも親切そうにアドバイスします。
そのアドバイスを受けて「やっぱりそうだよな」あっさり行動を諦める人は、基本的にアドバイスをする人と同じ感覚の人です。
何が言いたいかと言うと、ここ数年、「自分は無趣味だから、何か趣味を持ちたい」という人に対して、「創作の趣味はどうですか?映画作りなんかは、実は敷居が低くて楽しいですよ」と勧めて、自分の創作仲間を増やそうかと思っていたんですが、ほとんどの人は「才能」が無いことが分かりました。
私の言う「才能」というのは、「ヤル気と行動力」です。
実はこの才能こそが、最大、最重要の才能だ、と痛感しています。
これを持っていない、持とうとしていない人には、何を言っても無駄だな、ど。
ですから、今後は、この才能がない人を仲間に誘うことは諦めます。
改めてお伝えする、映画作りの敷居の低さ
趣味にはスポーツをはじめ色々あります。どれも魅力があるはずです。
趣味を持っている人は、自分には理解できないものだとしても、他の人の趣味の魅力を想像できるものです。
そんな趣味の中でも、大きな魅力がある「創作」。
マンガ、小説、絵画、造形など様々です。
その中に「映画作り」も当然入ってくるわけですが、そもそも「ビデオ撮影」というものがこの20年、ちっとも普及しないこともあって、映画作りの趣味も浸透せず、誤解を受けたままになっています。
どういう誤解かというと、「映画作りは、他の創作より難しい」とか「お金が掛かる」ということです。
「映画作りは大変そう」とも言われます。それはそうです。毎日ジョギングするのだって大変ですし、画材を使って絵を描くことだって、ボーっとワイドショーを見て時間を過ごすより大変なことです。
ただ、本人達は、自分がやりたくてやっているわけですから、ちっとも「大変だ」とは思いません。むしろ、自分で「この趣味は大変なんだよ」と言うのはどうかしてると思います。
そんな主観はともかく、客観的な事実だけで考えてみると、「映画作り」のハードルの低さがよく分かります。
もし、シンプルなストーリーを考えて、それを形にしようとした際に、小説であれば、文章表現がある程度できなければ、形になりません。状況を箇条書きで書き出しただけでは、小説の体裁にならないからです。
漫画で表現するのも同様です。そもそも、絵が上手に描けないと、どんな場面なのかを伝えることすらできません。
しかし、映画だけは、ドラマを箇条書きに分解しただけで、とりあえず形になるんです。
もちろん、映像特有の基本的文法などもありますが、若いプロの映像作家には、それらを全く無視して作っている人もいますし、事前に特別、勉強などしなくても、見よう見真似で作っていけば、どんどんサマになっていきます。
文章を書けるようになる、とか、漫画の同一キャラクターを、同一人物であることが分かるように描けるようになる、といったような訓練を飛び越して、いきなり「演出」の楽しさを味わえる創作の趣味が映画作りなんです。
必要なのは、編集するためのパソコンとカメラだけ。そのカメラも、スマホのカメラで、正直、充分始められます。悔しいくらい、作品の面白さ、魅力と、機材の良し悪しは無関係なんです。
撮影して編集するだけであれば、電気代以外、お金も掛かりません。基本的に消耗品が無いんです。
「映画にはお金が掛からない」と言うと、「思ったほどには掛からない、という事でしょ?」と思われがちですが、そうではなくて、実質的に、最もお金を使わずに出来る趣味の一つなんです。
もちろん、やっていれば、色々なものが欲しくなって、買い足すことも出てきます。でもそれはプラスアルファ分です。
もし、「ヤル気と行動力」はあっても、「映画はお金が掛かりそう」と勘違いして敷居が高いと思っている人の誤解を解こうと思って書いてみました。
趣味で映画を作る、ということはどういう感覚のものなのかを、電子書籍にもまとめています。よろしければお読みください。unlimited読み放題対象にもなっています。