原作の脚色・改変は悪なのか?
原作のまま映像メディアに変換することは不可能
映画やドラマ、アニメーションなどで、「原作もの」と呼ばれるものがあります。
原作の小説やコミックがあって、その人気に乗じて映像作品を作る場合、原作から設定を変えたりとか、いわゆる改変をして作品を作るということがあります。
実際には、様々な理由があって、「その改変が重要だ」という判断に基づいて改変してるわけです。
しかし、特に、「原作のファン」という人は、そういった改変を激しく嫌う傾向があります。
「原作を台無しにした」「作らない方が良かった」というような、批判の仕方をします。
結論から言うと、観客による創作への批判は不要です。
見なければいいだけなんです。
厄介な原作ファン
一部の原作のファンの人は、
- 主人公のキャラクターが原作と違いすぎる
- このキャストは明らかに間違っている
というような批判をして、あたかも自分が最も、「その原作を正しく理解している」ような言い方をします。
でも、「原作と違う」という意見は、あくまでその人の主観にすぎないんです。
もしかしたら、その原作者本人は、映像化された作品の主役を見て「ぴったりだ」と思っているかもしれないんです。
あるいは、作家の京極夏彦氏のように、「小説を書くときには、映像は一切浮かべないようにしている」と公言している人もいます。
そういう人にとっては、映像作品は、まるっきり別物です。
別物として、原作者自身が楽しんでいる状況もあるわけです。
映像作品づくりに有効な「脚色・改変」
私は改変も含めて、原作を脚色して使うということは、非常に有効だと思っています。(もちろんそれは契約の範囲内であったり、パブリックドメインの作品であることが前提です)
昔、江戸川乱歩原作の話を、俳優の天知茂を主人公にして描いたテレビシリーズがありました。
主人公は「明智小五郎」という探偵。
しかし、原作の要素がちりばめられているだけで、話が原作と大きく違うものもあるんです。
というのは、原作を読むと、明智小五郎という探偵が主役ではない話もあります。
ところが、テレビドラマの中では、その明智小五郎が主役でないと成り立たないわけですから、当然、改変されているわけです。
エンターテイメントとして面白ければ、改変は批判されるべきものではないと思います。(繰り返しますが許可の範囲内においてです)
創作する側からすると、改変のメリットは明らかに存在します。
例えば量産のメリット。
多くの人の創作にとって、相当のレベルに達するまでは、「質」よりも「量」の方が有効なんです。
ですから、「自分のオリジナルの話を何年もかけて考えて、1本の映画を撮る」よりも、著作権が切れた古い小説を自由に改変して、たくさんの映像作品にして発表すべきだと思っています。
原作から感じたインスピレーションを元に、作品を作ってもいいでしょう。
「だったら原作のタイトルを使うな」というような、「原作ファン」もいます。
しかし、「自分のイメージ以外は間違いと思い込んでいる原作ファン」の意見は外野の意見です。
もちろん映像化した側には、人気のある原作タイトルを使うメリットがありますし、「映画の原作」ということで、原作小説を読んで欲しい人にとっても、大きなメリットがあるかもしれません。
作者の権利を侵害するような「盗作」や映像化に伴って事前に交わした契約を無視した変更は論外ですが、原作を改変・脚色する技術を積極的に身に付けて、原作小説を元に、たくさんの映像作品を作るべきだと思います。
参考になれば幸いです。
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