「原作通りに撮る」とは?

映画(映像作品)の中には、小説が原作のものが、たくさんあります。

当然、映像化されるくらいなので、「人気がある原作」ということになります。

 

人気の原作にはファンがいます。

そして、映像化されると、まず間違いなく、その出来について「賛否両論」の意見が飛び交います。

賛否の「否」の意見の大半は、「イメージが違いすぎる」というものです。

 

確かに、中には「何故、わざわざそんなに設定を変える必要があったのかな?」という「改変」が目立つ上、それ程のプラスの効果を感じられない事もあります。

 

ただ、

  • 小説の通り撮れば映画になるじゃないか
  • 原作通り撮れば良かったのに

という浅はかな批判は、恥ずかしいのでしないでください。

 

特に、原作が小説の場合、「イメージが違いすぎる!」とは自信を持って言えないはずなんです。

あくまでも「自分の思っていたイメージとは違う」なんです。

出演者を見て、原作者が「イメージにピッタリ」と言っているのに、「あーあ、プロデューサーに媚び売っちゃって」と分かったようなことを言う人も多くいますが、その原作者のイメージは違うはずだ、とどうして赤の他人が判断できますか?

 

キャストだけではありません。

小説と映画は構造がまるで違います。

「原作通り撮れば良い」

と思っている人も、1ページ目で、何を撮ればいいのか行き詰まるはずです。

 

小説には「地の文」があります。

地の文には、脚本のト書きのように映像的描写もありますが、全く映像的でない、抽象的な表現がたくさん含まれています。

登場人物の気持ちだったり、あるいは状況の説明だったり、目に見えないものを文章にして書いている。

そういった抽象的なことも、文章の魅力と組み合わせて使えるのが小説の特徴です。

 

しかし、映画というのは、「カメラに映る要素」を組み合わせて作らなければいけません。

 

小説では「主人公がこう考えている」と書けますが、映画では、登場人物に同じことを考えさせて撮影しても、観客にはその「考え」の内容が伝わりません。

これは、演技力の問題ではありません。

 

映画化するということは、文章で抽象的に書かれた部分を、何らかの「映像」に置き換えて表現する必要があります。

まずは、映像にするには「撮影場所」を決めなければいけません。

イメージや心象を、具体的な撮影場所に落とし込むということです。

 

例えば、

「近未来、治安は乱れ、人々は生きる希望を見失っていた」

という小説の文章があったとします。

舞台設定、人の感情が書かれた文章です。

具体的な場所や情景は書かれていないので、「そのまま撮る」ということが出来ないことが分かるでしょうか?

 

あなたは、明確な映像を思い浮かべたかもしれませんが、それはあなただけのイメージです。

人によってそれぞれそのイメージは違うということに注意してください。

 

この「文章」を「映像」で示すためには、何らかの「変換」が必要です。

 

変換を放棄した方法として、黒画面に

「近未来、治安は乱れ、人々は生きる希望を見失っていた」

という文字を表示する場合もあります。

これは、手っ取り早く「作品の世界観・情報を与える手法」として、特に作品の冒頭ではよく使われます。

 

でも、使えたとしても、冒頭かラストだけだと思ってください。

この手法を使うと、映像作品としては非常に稚拙な印象になる危険があるという覚悟が必要です。

 

小説の中には、非視覚的で抽象的な文章がたくさん出てきますが、映像化するのであれば、できるだけ「映像として具体的なもの」に置き換える作業が必要です。

 

  • 具体的にどこをカメラで写すのか。
  • その映像に何を写して、どんな情報を与えるのか。

 

「近未来、治安は乱れ、人々は生きる希望を見失っていた」

この文章を映像で表現するのに適した場所はどこでしょうか?

正解はありません。

解答は人それぞれですが、一例を考えてみましょう。

 

山奥を舞台にして、この内容を表現するのは困難だと思います。

山奥の景色は、近未来だろうが、治安が乱れていようが、変化がなさそうだからです。

 

では、本来規律が整っているべき「市街地」を舞台にしたらどうでしょう。

工業製品や建築物のデザインで、「近未来」という「時代」を示すのに好都合です。

 

では、「治安が乱れている」は、映像的にどう表現するか。

 

例えば、治安を維持するために機能しているはずの警察署。

この建物の窓ガラスが割れて荒れ果てていたらどうでしょう?

通常では考えにくい状況ですから、治安面で異常があるという事を感じさせる事が出来るのではないでしょうか?

 

警察署の前には、焼かれた車が放置されています。

その道の脇には、いかにも無気力そうなホームレス風の人達が、酔っ払って座っていたり、寝そべっていたり。

 

あくまで一例ですが、この映像をうまく作れれば、

「近未来、治安は乱れ、人々は生きる希望を見失っていた」

という1行分の情報が観客に伝わらないでしょうか?

 

この様に、小説の文章を映像化するためには、文章に書かれていない場面を考える必要がある、ということを理解してください。

  • そんな事は小説に一言も書かれていない
  • イメージが違う

批判するのは簡単ですが、小説を映画の形に変換するには、全ての場面について、こうして「具体化する」必要があるんです。

 

文章による「抽象的なイメージ表現」であれば、「みんなが同じものを思い浮かべている」という勘違いが通りますが、映像で具体的なイメージにすると、個々で「イメージが違う」と感じるのは当たり前なんです。

その当たり前に気付いて、批判体質を卒業しましょう。

 

ちなみに、

  • 荒れ果てた警察署
  • 焼かれた車
  • 無気力な人々

を表現するのに、大掛かりなオープンセットを想像して、「お金が掛かりそうだなあ」などと思っていませんか?

 

冒頭のたった1行分の映像のために数十万も数百万も掛けていたら、予算はいくらあっても足りません。

これくらいの要素の組み合わせは、ミニチュア特撮で表現できそうだ、という発想を持てるようにしてください。

 

私なら、まず、警察署の建物を撮影するか、適当なビルのフリー素材写真を用意します。

その画像をフォトショップで加工して、ガラスが割れて桜の代紋がブラブラしてるような背景写真を作ります。

更に、焼けた車をミニチュア模型で作り、グリーンバック撮影した人物と一緒に、一つの画面として合成します。

ミニチュア模型を用意するのに200円ほど掛けるだけで、実現可能ですから、低予算映画でも、十分に実現可能なオープニング映像です。

 

今回は、「原作通りに撮る」という事は概念的に不可能で、原作のイメージを守ろうとすれば、原作に無い場面を考える必要がある、という話でした。

 

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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