「映画の王道は演劇の映像化」という勘違い

王道の作り方をしようとするからダメなのだ


自分自身の創作活動方針に、ポリシーを持つのは自由です。

その中でも、かなり自由度が高いのが「映像」の筈です。

 

しかし、不思議なことに、映像の創作をしていると、王道原理主義とでも言うべき人が多い事に驚きます。

それが、実際に王道かどうかはともかく、私が「王道」と思っている手法は、

  • カメラの前に、実物大の対象物を全て用意して
  • 登場人物が、そこでお芝居をしている様子を撮影する

というものです。

 

例えば、1968年版の「猿の惑星」や「男はつらいよ」のような作品、高倉健が出演しているような映画がこれに当たります。

 

出演する俳優にとっては、これが最高の状況であり、あるべき手法でしょう。

カメラマンにとってもそうかもしれません。

 

しかし、「カメラの前に全ての情景を用意する」という、昔ながらの「当たり前」の手法は、とにかくお金が掛かります。

「映画とは本来、そうやって作るべきものだ」と、何の疑問も持たずにいる「王道原理主義」に私は同意しません。

映画という創作は、もっと自由な筈だからです。

 

プロ野球を例にしますが、かつて、オリックスと近鉄が一つになって、12球団が11球団になったとき、楽天という会社が新しい球団を発足しました。

その時、11球団のオーナー達が「球団を持つということは、年間40億円の赤字を出し続けるということだ。楽天に毎年40億円捨てられるほどの資金力があるのか?」という馬鹿な質問をしていました。

長年の習慣が、当たり前の王道になっていたんですね。

映画の「王道原理主義」にも、同じような匂いを感じてしまいます。

改めて「映像」の特徴を考える

「カメラの前で演劇やショーを演じているところを撮影する」というタイプの映像化も、もちろんひとつの手法です。

この手法で一番満足するのは、「出演者」を含めた「王道原理主義者」の人たちかもしれません。

当然、撮影現場にその情景が実在しているので、テンションも上がるでしょう。

演技にもリアリティが出る(と本人たちは思う)でしょう。

 

でも、あくまでプロデューサー的な視点で考えると、まず「観客の満足」あっての「作り手の満足」であるべきです。

作り手が満足する方にコストを掛けて、「一般の」観客の満足を後回しにしすぎると、舞台演劇のように、関係者や通ぶった人達だけで盛り上がる、閉鎖的な世界になる危険があると思います。

 

せっかく、「映像」を使った「映画」なのですから、演劇などのライブでは出来ない利点を大いに活かしましょう。

カット割りを有効活用する

カット割りは、芝居する役者の顔を交互に見せる、というような、単なる視点の変更が出来るだけではありません。

舞台を収録した映像と全く違うのは、別々の場所で撮影した映像を、一つのシーンに組み合わせる事が出来る点です。

 

昔の映画で「フライング・ハイ」という、ギャグ・コメディ映画がありました。

この作品は、映画ならではの技術を駆使したギャグが満載でした。

 

例えば、「長い時間を掛けて、牢屋の床下にトンネルを掘る」という、脱獄映画のパロディーシーンで、

  • 狭い入り口に上半身を入れて、トンネルを覗く
  • 延々と高速道路のように整備されたトンネルの映像
  • 入り口から上半身を戻して、カメラに呆れた顔を見せる

というカット割りがありました。

映画にしか出来ないカット割りです。

 

もう一つのカット割りの利点は、実際にはスケールの違うものを、同じスケールのように見せられるところです。

 

これも例を出すと、「トレマーズ」という怪物退治の映画の中、納屋の中で怪物と対決するシーン。

  • 納屋の中で銃を構えるハンター
  • 向かいの壁が壊れて怪物が現れる
  • 発砲するハンター
  • 暴れる怪物

このカット割りが素晴らしくて、違和感はありませんが、実は怪物が映っているカットは、小さなミニチュアセットで、怪物も、人が手を入れて動かすタイプの小さなマペットでした。

これも、映像ならではのシーンです。

舞台で再現しようとしたら、大金を掛けて実物大の怪物を作らなければいけません。

映像の最終兵器・合成

カット割りだけでも、見せ方を工夫することで、かなりの表現が出来ます。

しかし、デジタル編集の時代になったことで、そこに、「映像合成」という最終兵器が活用出来るようになりました。

 

スケールの違うものを、同じスケールに見せるカット割りに加え、映像を合成することで、実際にはスケールの違うミニチュアなどを、同一カットの中で、同じスケールのものとして表現できます。

デジタル編集することで、自然な合成が容易になったわけです。

 

映像合成という選択肢が手に入ったことで、「低予算映画だから、こういう場面は作れない」という制約が大幅に減りました。

ステージのショーではなく、映像ならではの作品作りにおいて、映像合成は、まさに最終兵器と言えます。

映像合成を利用できる具体例

昔、テレビ番組で、「西部警察」という、石原プロが制作したドラマがありました。

毎回、都内で派手なカーアクション、クラッシュや爆発シーンが登場する番組でした。

現在では、様々な制約があり、同じ映像のドラマを撮影することは不可能です。

 

もちろん、本物の車を大量に使った迫力は出せませんが、ミニチュアやCG合成を活用すれば、「同じような絵面」は再現できます。

実際、最近の多くの映画では、こうしたシーンで映像合成が盛んです。

 

「ジュラシック・パーク」も、当初は、「実物大の恐竜をカメラの前で大暴れさせる」というコンセプトの映画でした。

実際に、人が入った恐竜モデルも活躍していますが、巨大恐竜のロボットが予定通りには動かず、苦肉の作で採用したCGが成功した後のシリーズでは、恐竜映像はCGの合成がメインになりました。

 

「ウルトラマン」などの見せ場は「巨大ヒーロー」と「巨大怪獣」の戦いです。

もし、こういうコンセプトの作品を作る場合、私なら、少なくとも怪獣はミニチュアを作って、映像合成で巨大ヒーローと共演させます。

これも、ウルトラマンと全く同じ映像にはならないとしても、それなりの説得力を持った映像を、比べものにならないくらいの低コストで形に出来るはずです。

しかも、「人が入る」という、デザイン的な制約が無いので、よりリアリティのある、独創的な怪獣も登場させられる可能性もあります。

映画に伝統芸能としての縛りは似合わない

歌舞伎というのは、その語源からして、「常識にとらわれない」という概念の芸の筈です。

ですから、「スーパー歌舞伎」などで斬新な題材を扱ったりするのは、本来、極めて歌舞伎的なわけです。

 

ところが、「歌舞伎」という「伝統の型」を重んじるように変質してしまうと、「スーパー歌舞伎なんか、歌舞伎じゃない!」というような窮屈な意見が出てくるのではないでしょうか?

 

映画は、元々、さらに自由なものです。

イメージした場面を映像という形にするために、あの手この手で手法に工夫を加えるのが、映画の特徴の一つと思っています。

 

私は、制約の中で

  • 少しでもイメージに近いものを
  • 少しでも低コストで
  • 早く
  • 多く

形にするために、映像合成を多用しています。

すると、「そんなの映画じゃないよ」「もっとじっくり、時間もお金も掛けて、しっかりした映画を作った方が良いよ」と意見をしてくる方がいますが、私は「王道原理主義者」ではありません。

あくまで、楽しい映像を楽しい手法で作ろうと思っています。

 

賛同していただける方の参考になれば幸いです。

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Debunking the Myth: ‘Traditional Filmmaking Means Capturing Theater on Camera’

Why Traditional Approaches Might Be Holding You Back

Having a firm creative philosophy is admirable, especially in the flexible world of filmmaking. Yet, curiously, I’ve noticed a surprising number of “traditionalists” in this space—individuals clinging to what I’d call “orthodox filmmaking principles.” Their idea of the “right way” often involves:

  • Assembling life-sized sets and props in front of the camera.
  • Filming actors performing live in these spaces.

While this approach has yielded masterpieces like The Planet of the Apes (1968) or Tora-san films, adhering strictly to it limits the true freedom film offers as a medium.

Breaking Free from Old Habits

Much like how old baseball team owners once believed it was “inevitable” to operate teams at significant losses, many filmmakers equate costly, elaborate setups with quality. However, clinging to such ideas could undermine the potential of independent and low-budget productions.

Rethinking Film’s Potential

Filming live performances might satisfy actors and traditionalist crews, who find comfort in capturing “real” sets. But from a producer’s perspective, the audience’s satisfaction must take precedence. Without leveraging film’s unique advantages, creators risk creating closed-off “theatrical worlds” instead of compelling cinema.

Make the Most of Film’s Strengths

  1. Dynamic Editing (Cutting Between Shots): Beyond showing alternating close-ups of actors’ faces, editing allows for combining footage shot in entirely different locations into one seamless scene.

    In the comedy film Airplane!, there’s a parody scene involving a prisoner digging a tunnel:

    • He peers into a hole.
    • The “tunnel” suddenly resembles a modern highway!
    • Returning to reality, he gives the camera a resigned look.

    This kind of juxtaposition is uniquely cinematic.

  2. Scale Manipulation Using Edits: In Tremors, a hunter faces a massive monster in a barn. Seamless cuts alternate between the hunter and the monster, but here’s the magic: the “monster” shots were filmed using a miniature puppet within a small-scale set!

    On a theater stage, achieving a similar effect would require creating life-sized props—drastically increasing costs.

The Game-Changer: Visual Compositing

Editing alone allows filmmakers to showcase creative perspectives, but digital editing technology has introduced compositing—the ultimate storytelling tool. It allows:

  • Combining different scales seamlessly within a single shot.
  • Erasing boundaries that previously limited low-budget films from exploring ambitious concepts.

Practical Applications

Examples include:

  1. Dramas like Seibu Keisatsu, which featured explosive car chases, can now be recreated with miniature models and CGI.
  2. Films like Jurassic Park, initially conceived with life-sized dinosaur models, pivoted to CGI when practical challenges arose—revolutionizing its sequels.
  3. Tokusatsu productions like Ultraman thrive on creating battles between giant heroes and monsters. Using miniatures and compositing can recreate similar visuals without the logistical constraints of life-sized designs.

By eliminating the need for “actors in suits,” more imaginative and realistic designs can emerge.

Cinema is Meant to Be Free

Filmmaking shouldn’t feel constrained by the traditions of performance arts like kabuki. Film is at its most exciting when embracing innovation and employing a variety of creative methods to bring imagined scenes to life.

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