その「本物志向」は有効ですか?名画のマニアが陥りがちな映画原理主義のワナ
本物にどこまで効力があるか
例えばセット。
映画の場合は、本物の高級木材や大理石を使って、セットを用意することがあります。
予算を低く押さえるために、薄いベニヤ板や発泡スチロールで作られたセットより、現場ではスタッフも出演者も、当然、テンションが上がるでしょう。
俳優の石原裕次郎が映画の世界から、「太陽にほえろ」というテレビドラマの世界に入ってきた時、メインセットである七曲署のセットのチープさに、非常にがっかりしたと言われています。
それは、ベニヤ板などを使った、テレビでは一般的なセットで、「カメラから見れば本物らしく見える」ものの、間違って出演者が壁に寄りかかったりすると、倒れてしまうような、いわゆる「ハリボテ」なんです。
映画スターとして、本物志向のセットに慣れ親しんでいた石原裕次郎にとっては、カルチャーショックだったのでしょう。
当然ながら、ハリボテより本物志向のセットの方が魅力があります。
しかし、お金の使いみちに困る大富豪でもない限り、製作者としては「費用対効果」を無視するわけにはいきません。
スタッフ・出演者が喜ぶような豪華なセットを作ると、その費用は10倍以上になるでしょう。
それに見合う満足感を、「観客が」感じられるかどうか、分かりやすく言うと、コスト以上に収益が入るのかどうか、という事です。
日本映画全盛期の頃は、資金は潤沢でした。
「国鉄が駅での撮影協力に渋っている」となれば、本物の機関車と客車を買ってきて、スタジオに本物そっくりのオープンセットを作って撮影したそうです。
その後、テレビの台頭などもあり、映画製作の資金が激減します。
そんな中、時々、「豪華セット」「豪華衣装」を宣伝の全面に押し出した映画もありましたが、
- セットに本物の大理石を使っているから、物語世界に没頭できた、とか
- 衣装が本物の高級品だったから、作品の魅力が割増した
というような経験は、私はありません。
逆に、「太陽にほえろ」のセットがベニヤだったから、それが気になって面白く感じられなかった、ということも皆無です。
画質などは「プラスアルファ」
同様の本物志向は、「画質の追求」にも言えます。
「フィルムの質感にこだわる」という類のものです。
私も、若い頃はクリエイター気取りというわけではありませんが、ビデオ映像よりフィルム映像のほうが遥かに魅力的と感じていました。
同じドラマでも、フィルムで撮影されたものは「作品」に見え、ビデオで撮影されたものは、どうしても「コント」のように見えたものです。
- フィルムの映像=高級で本物っぽい
- ビデオの映像=生々しいが偽物っぽい
という感覚です。
そのため、どうしたらビデオでも、フィルム的な画質に見せられるのか、ということばかり研究していました。
今のようにインターネットでの情報収集が出来ない時代です。
偶然見つけた撮影設定を試したり、「2倍速でダビングした映像を、再度、1/2倍速でダビングすると、フィルムっぽい画質になる」という裏技的手法を教えてもらって試したりしました。
それはそれで、楽しい試行錯誤ではあるのですが、ある時、「そんなプラスアルファの魅力を追求してる場合ではない」と思い始めます。
自分も含めて、画質や演出の研究をしている自主映画のほとんどは、そもそも「面白くなくて見ていられない」事に改めて気付いたからです。
多くの課題は拙さからくるストレス
映画は作家の「感性」とは別に、様々な「技術」の組み合わせで成り立っていますから、技術的な拙さで「見ていられない作品」になりがちです。
そして、技術というと、まず「撮影」が浮かびますが、最も重要なのは、それ以前の「シナリオ」の技術。
もっと言えば、シナリオ以前の「あらすじ」を作る技術が最重要だと思います。
自主映画だけでなく、商業映画の一部でもそうなのですが、「作り手の映像へのこだわり」とは別の部分で、観客はストレスを感じます。
「そこにこだわる前に、ここの辻褄を合わせてくれよ!」
「そんな投げやりな終わり方で、どうやって満足すればいいんだよ!」
というような、ストレス。
この原因は、ほとんど、あらすじ作成技術の拙さに端を発したものです。
多くの「ストレスが溜まる作品」は、
「まあ、色々と辻褄が合わないところはあるけど、映像にすれば何とか纏まるだろう」
という判断で作られているように感じます。
映像化するための「撮影」は楽しいので、早く取り掛かりたいという気持ちも分かります。
しかし、演技や映像技術を30%向上させることは、かなり困難ですが、あらすじの品質を30%向上させることは、比較的容易です。
地味な作業ではありますが、是非、あらすじの段階で、「最低限の辻褄合わせ」「面白くなるはずの仕掛けの仕込み」くらいは済ませておくべきです。
「実際にxxすればリアルに見えるはず」という勘違い
本物志向が空回りしている例を挙げてみます。
例えば、舞台公演。
新型コロナの影響で、観客を集めての公演が出来なくなりました。
殆どの団体は、状況を嘆くだけで新しい手を打ってはいません。ひたすら事態の改善を待つだけです。
一方、一部の団体は、インターネットを使った配信に活路を見出そうと行動しています。
それを見ていて、私は疑問に思うことがあります。
それは、多くの人が「ライブ配信」にこだわっている点です。
どうも、「ライブ配信すれば、ライブ感が出る」と勘違いしているような気がするのです。
ライブ配信には様々な技術が必要です。費用も掛かりますし、どうしても通信技術上のトラブルが発生しがちです。
舞台公演を、臨場感を表現する形でしっかりと撮影・編集した「映像作品」にして、後日、ネット配信するほうが、遥かにメリットがあると思います。
また、例えば、映画のアクションシーン。
ハリウッド大作などに影響されて、危険を冒して迫力のあるシーンを撮影しようとする人がいます。
しかし、様々な技術課題があるような段階なのに、実際に危険な撮影をしたところで、それに見合う迫力は出せません。
特に自主映画では、本人たちだけでなく関係者や同好の人たちに多大な迷惑をかけるので慎むべきです。
例えば演技。
リアリティーを求めるために、本物の感情を湧き上がらせるのは方法の一つではあります。
しかし、特に、演技力が不十分な役者の場合は、本物の感情になったとしても、観客にはそれが伝わらない事がほとんどです。
演技論的には異論もあるでしょうが、私は、観客に伝わる「形」の方が、作品としては重要だと考えます。
様々な代用品として特撮を利用する
「本物」を用意しても、それに見合う効果が出ない事例をダラダラと出してみました。
要は、作品の本質的な魅力を上げるためには、コストを掛けた「本物の用意」の前に、クリアすべき問題、身につけておくべき技術があるよ、ということです。
それまでは、特撮のような安価な「偽物」で代用して映像を最低限、成り立たせて、観客の鑑賞に耐えうる作品を作れるように練習する方がいいのではないでしょうか、という提案です。
「お金が掛かってるね。撮影は大変そうだね。でも正直、面白くはないね」という本物思考の作品は残念すぎます。
「この作品は全て良かったね。ただ、予算的に仕方なかったんだろうけど、あの特撮部分だけ、残念だったね」と言われるようになって初めて、特撮でなく「本物」を使う、プラスアルファを追求するべきと思います。
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