映画原理主義vs特撮主義・作り手の過度なこだわりが観客の要望を無視していないか?
自由であるべき映画の残念な既成概念
「映画撮影にはお金がかかる」というイメージがあると思います。
昔ながらの本格的な「映画とは、こう撮影すべきだ」という既成概念に固められた状態では確かに莫大な費用が掛かるでしょう。
こういう「本来、映画はこう作るべき それ以外はダメ」という考えを私は「映画原理主義」と呼んでいて、この「映画原理主義」にはマイナス面が多すぎる、と常々思っています。
映画原理主義の良い点はどこかと言うと、「本物志向を貫けること」です。
カメラの前に、その物語世界の要素を再現することは、確かに素晴らしいことです。
中には、カメラには映らない、箪笥の引き出しの中にも、あるべきものをセットしておくことが、映画原理主義の世界では理想とされます。
確かに、そんな環境を整えてくれたら、役者のテンションは上がるでしょう。
演技もリアルになるはずです。
しかしです。
正直、映画原理主義によるプラスαの魅力が十分に発揮できるのは、映像製作能力のトップ数パーセントの製作者・監督だけだと思います。
そんな、ほんの一部のトップクリエイター以外にとって、課題は「プラスαの演出」ではありません。
それ以前の「最低限の構造構築」や「必要な映像素材の確保」が最大の課題だと感じます。
言い方は良くありませんが、「プラスαを追求するのは10年早い」という感覚です。
(もちろん、私自身もその中の一人です)
実際、映画を作ろうとすると、企画の初めのうちこそ、演出プランなどに妄想が広がりますが、撮影が現実的になってくると、必要な要素を撮影することで精一杯なんです。
ここでは、物語の内容構成は出来ている前提で、「映像」について考えます。
映画原理主義を貫こうとすると、選択肢は2つになります。
- コストを掛けて、理想通りの環境をカメラの前に再現する
- コストに見合った内容に、物語や演出を変更する
現実的に考えて、黒澤明のマネをして環境を整えようとすれば、資金の問題で製作そのものを断念することになります。
実質的には、コストに合わせて、映像のイメージを変更することになってしまうでしょう。
例えば、「洋館の大広間」というシーン自体を、狭い部屋に変更するとか、大広間の一角しか映らない映像に変更するとか、そもそも洋館という設定を変更するという具合です。
私には、これが耐えられないんです。
はじめにイメージした映像を、なんとかして再現したい。
そのためには、「映画における本物志向」はあっさり捨てます。
映画原理主義が企画をダメにする
例えば、こんな状況を思い浮かべてください。
田舎の親戚の家が大正時代に建てられた古い家で、夏休みにそこで映画を撮影出来るとします。
柱や床、天井の作りなどに独特の魅力があって、「犬神家の一族」のような場面が撮れそうな雰囲気です。
あなたも、昭和20年代30年代を舞台にした物語を企画しました。
ところが、実際に具体的な撮影計画を進めていくと、いろいろな問題が見えてきます。
家屋自体は古くて魅力的なものですが、現代の生活空間でもあるので、大型テレビや冷蔵庫、エアコンも設置されているんです。
ここで、映画原理主義者はどうするでしょうか?
自分に十分な経験も少なく、技術も未熟だったとしても、何の疑問もなく撮影のために、テレビや冷蔵庫を別の部屋に移動させようとすると思います。
「いい作品のためには当然」と信じているからです。
エアコンはさすがに外せないので、エアコンが映り込むような広角の映像は撮影しないでしょう。
家具や家電を移動するとなると、住んでいる人には大迷惑です。
私なら、撮影場所としての提供は断ります。
また、エアコンが映らないようなアップの構図ばかりでは、せっかくの古い家屋の雰囲気は出ないかもしれません。
そもそも、その家で撮影するメリットが半減してしまうんです。
一方で、映画においては邪道扱いされる「特撮技術」を応用すると、あくまで表面的ではありますが、本来、作家が欲しい映像に近いものが手に入るので、それで良いじゃないかという考えです。
特撮で撮影場所への負担を減らす
映画原理主義と真逆の考えを持つ私は、この古い家屋の撮影をする時に、特撮の応用を前提にします。
- 見せたくないものを撤去する
- 見せたくないものからカメラをそらす
という発想でなく、
- 構図を優先し、見せたくないものは、映像合成で隠す
という選択肢です。
恐らく簡単なのは、高い位置にある「エアコン」の処理です。
部屋の全体映像にエアコンが写り込んでも、気にせずに撮影してしまいます。
そして、編集時に、エアコンの部分を塗りつぶして、エアコンが無い映像に作り変えます。
これは、フォトショップなどを使って部分的にデジタル描画をします。
それなりの絵心や慣れは必要ですが、私はタブレットなどを使わずに、パソコンのマウスで塗りつぶしの描画をしています。
これは、ちょうど、壁の傷を隠すために壁と同じ色のテープを貼るようなものです。
私は「パッチ法」と読んでいます。
これは、パッチと人物が重ならない構図の映像では、もっとも簡単に使える手法です。
もし、パッチと人物が重なる場合は、もうひと工夫が必要です。
写ってほしくない大型テレビが、撮影する部屋の床の間に設置されている場合を考えてみましょう。
設置場所が低いこともあって、人物と重なって、向こう側にテレビが映り込む構図が発生すると思います。
エアコンと同様にパッチを作ると、人物が画面に入ってきたときに、人物もパッチの向こう側に隠れてしまって、映像が成り立ちません。
人物の向こう側にパッチを当てたいわけです。
この状況では、発想を変えて、グリーンバック合成を応用してはどうでしょう。
テレビが隠れるように、すっぽりと緑色の布を掛けて撮影します。
撮影中は、画面の中に緑色の布が写り込んでいるので、妙な感じがするかもしれませんが、こうしておいて、後から緑の布を隠すパッチの絵を描画します。
具体的には、テレビが無かったら見えるはずの、床の間の絵です。
こうして作ったパッチを、編集時、「手前側」に貼るのではなく、映像の「奥側」に貼ります。
映像の奥側に配置した上で、緑色の布部分をクロマキー合成すると、パッチの手前に人物がきても、奥の景色はテレビのない床の間の状態に見えるはずです。
緑色の部分の形に穴を開けて、向こう側が見える状態がクロマキー合成だと思ってください。
抜けて見える向こう側に絵を立て掛けておいて、カメラから見ると穴が空いていないように見える、という説明で分かるでしょうか。
これを私は、「リアパッチ法」と呼んでいます。
これらの手法を採用するためには、撮影時の制約もあります。
例えば、三脚を使った、固定映像撮影が必須です。
手持ち撮影や、カメラをパーンさせながらの撮影映像には、うまく合成できません。
- このシーンは手持ちカメラで撮りたい
- カメラがパーンしないと成り立たない
というこだわりがある場合は使えません。
何事もそうですが、物事を進めるためには「どちらを取るか」という選択が重要です。
どちらが正解かは、価値観によりますが、私なら
- 撮影場所の提供者に掛ける迷惑が少なく
- 自分のイメージが優先できて
- 古い家屋の魅力が出せる
のであれば、
- 固定カメラ
という制約を受け入れて、特撮の手法を選択します。
その方が、映画原理主義を優先して撮影した映像より、総合的に魅力があると考えるからです。
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Cinematic Fundamentalism vs. Special Effects: Are Filmmakers Ignoring Audience Expectations With Excessive Obsession?
The Unfortunate Preconceptions Surrounding Film Creation
Many people have the impression that “filmmaking is expensive.” When adhering to traditional notions of how films “should” be made, the costs can indeed skyrocket. I call this belief system “cinematic fundamentalism,” and I often feel it imposes too many negative constraints on creators.
One advantage of cinematic fundamentalism is its pursuit of authenticity. Recreating the world of a story in front of the camera can be wonderful. In this mindset, even unseen details like the contents of drawers should match the narrative’s era and setting. Such efforts might elevate the actors’ performances, making their portrayal feel more genuine.
However, the benefits of cinematic fundamentalism only truly shine in the hands of the top few percent of creators and directors with extraordinary skill. For most filmmakers—including myself—the priority isn’t “extra layers of refinement.” It’s more foundational: structuring the story and securing the necessary visual materials.
The Problem With Cinematic Fundamentalism
When you start a film project, initial concepts and imaginative ideas about directing may flourish. But as production moves closer, simply acquiring essential shots can become overwhelming.
Given an established story, cinematic fundamentalism offers two options:
- Spend considerable resources to recreate ideal environments in front of the camera.
- Modify the story and visuals to fit financial limitations.
If you aim to follow the footsteps of Akira Kurosawa and create perfect shooting environments, budgetary constraints will likely halt production. Realistically, you’ll end up adapting your visuals to match available resources.
For instance, a scene set in a mansion’s grand hall might be shifted to a smaller room or confined to showing only one corner. Alternatively, the mansion setting might be replaced altogether.
Personally, I find this compromise unacceptable. I want to capture the initial vision I imagined—and for that, I’m willing to abandon the pursuit of realism in filmmaking.
Special Effects as a Solution
Consider the following scenario: You plan to shoot a film in a relative’s old countryside house, built during the Taisho era. Its unique wooden pillars and flooring evoke a “The Inugami Family” ambiance, perfect for your story set in the early Showa period.
However, modern elements like a large TV, refrigerator, and air conditioning disrupt the atmosphere. A cinematic fundamentalist might remove the TV and refrigerator to prepare for shooting. Air conditioners would stay but be excluded from wide-angle shots.
This approach imposes significant inconvenience on the homeowners. As a filmmaker, I would decline such a request. Besides, avoiding air-conditioned areas might erase the charm of the old house altogether.
Instead, I advocate for using special effects techniques. By compositing or masking unwanted objects digitally, filmmakers can achieve visuals closer to their original vision without burdening their shooting locations.
Practical Special Effects Techniques
For example, in the old countryside house scenario, the “patch method” allows you to digitally erase unwanted items during post-production. Air conditioners visible in wide shots can be masked using Photoshop-like tools. The process resembles covering wall damage with tape matching its color. Using this method avoids the need for physical alterations while retaining artistic control.
For more complex compositions—like instances where objects overlap with actors—green-screen techniques come into play. Covering a large TV with a green cloth during shooting allows filmmakers to later replace it with a digitally painted backdrop of an empty alcove. This “rear patch method” integrates the patch behind actors, maintaining visual coherence.
Balancing Constraints and Creativity
These techniques do impose certain restrictions. For instance, tripod-based fixed shots are essential for accurate compositing. Dynamic handheld footage or camera pans aren’t compatible.
Filmmakers face a choice: Prioritize location authenticity, or embrace special effects to minimize inconvenience while preserving creative vision. I choose the latter, believing it achieves a more compelling balance overall.