神の視点は特撮で・大掛かりになりがちな映像こそトリックの技術を使う

王道の映画づくりではコストが高く付く

私は、映画作りには「本物指向」と「邪道指向」があると思っています。

本物志向とは、例えば、

  • 豪華な衣装は本物の高価な着物を使う
  • セットに本物の大理石を使う
  • 高山が舞台の映画撮影は実際の高山で行う
  • アクションシーンは実際にパンチを当てる

というようなものです。

 

カメラに映らないところにも気を配って入念な準備をすることで、出演者のモチベーションを最高の状態にする効果が高く、過去の傑作映画には様々なエピソードが魅力的に語り継がれています。

私は、こういう作り方をする姿勢を「映画原理主義」と呼んでいます。

 

一方で、

  • 一見豪華に見える安い衣装を使う
  • セットにハリボテを多用する
  • できるだけ撮影しやすいところで、それらしく撮る
  • アクションシーンは安全第一

という姿勢で撮ることを「邪道映画主義」と呼んでいて、私はこちらの方を圧倒的に好んでいます。

 

やってみるとわかりますが、邪道映画主義のほうが、「工夫の余地」が遥かに多くて、映像ならではの特性を活かせて楽しいんです。

また、何よりも、製作コストが安く済む特徴があります。

 

映画の制作費は、一般の感覚からするととてつもない額になるので、「趣味の映画」もそれなりの資金が掛かると誤解されがちです。

あくまで私の感覚ですが、「趣味の映画作り」というからには、タバコ代や酒代、他の趣味と同等のコスト内で済ませるべきだと思いますし、実際に、私はそれくらいの費用しか使っていません。

 

しかし、それを実現させるためには「邪道映画主義」が不可欠です。

「映画原理主義」では、お金が掛かり過ぎるんです。

映画原理主義を貫こうとすると気付く問題

王道の映画作り、つまり、映画原理主義で作品を作ろうとすれば、カメラの前にその状況を完成させておく必要があります。

「カメラに映るかもしれないもの」を全てセット内に配置して、「あとは舞台演劇のように撮るだけ」というのが理想とされます。

 

一方、「邪道映画主義」では、映像合成を多用して、あくまで完成映像のなかで「その状況」を構築するので、撮影状況はいささか滑稽です。

役者にとっては、真実味の無い現場で演技をすることになるので、不本意なことも多いでしょう。

また、絵コンテ等の資料をしっかりと準備することが不可欠です。

 

映画原理主義者の人の中には、私のような邪道なやり方を見て、「実際にその場に行って撮ったほうが早いでしょう?」という人がいます。

実際、私も当初は王道の撮り方を実践していました。

 

例えば、洞窟のシーンを撮影するために、重たい機材を持ち、何時間も掛けて洞窟に行って撮影する、ということを何度も行ないました。

渓谷のシーンの撮影のために、早朝から何時間も掛けて渓谷に行ったり。

そんな撮影をして、編集作業を通してわかったことは、「実際にその場所でしか撮れない映像」というのは、全体の半分以下しかないことでした。

例えば、洞窟の中でライトを使って撮影しても、半分以上のカットは、単に、「背景が暗い映像」だったんです。

つまり、洞窟の中で登場人物が会話しているカットなどは、近所の夜の公園でも同じ映像で撮影できるということです。

撮影の状況としては「嘘」の要素が多くなり、撮影としては邪道かもしれません。

でも、むしろ、移動などの負担が少ない分、丁寧な撮影が出来て、品質が上がるのも事実です。

 

それに気付いてからは、絵コンテを元に、

  • その場所でしか撮れないカット
  • 別の場所でも撮れるカット

に分類して撮影するようにしました。

そうすることで、撮影のペースも上がり、負担も減りました。

 

 

そして、私がもっとも課題に感じるのは、「映画原理主義」で撮影してしまうと、映像の構図に制約が多すぎる、という点です。

 

例えば

  • 危険な崖っぷちを歩いているシーン
  • 漁船に乗っているシーン

を思い浮かべてみてください。

 

これらのシーンを小説の文章で書き起こしたとしたら、俯瞰気味だったり、周りの状況が見えるくらいの広い映像だったりと、いわゆる「神の視点」が必要になりませんか?

ところが、映画原理主義で撮影しようとすると、神の視点のような客観的な構図が撮れないことが多いんです。

 

危険な崖っぷちを歩いている状況は、実際に崖っぷちからは撮影できません。

実際に危険な状況だとしても、その状況が分かる映像にはならないんです。

崖を客観的に撮ろうとすれば、向かい側に撮影場所を探すか、ドローン撮影する必要があります。

 

漁船のシーンも同様です。

カメラマンも同じ漁船に乗ってしまったら、客観的な映像は撮影できません。

客観的な映像を撮影するためには、もう1隻、船を用意する必要が出てきます。

 

いずれも、コストが高く付くことは想像できると思います。

その高い費用を使って撮影するか、そもそも客観的な視点の構図を諦める、という選択をするしか無いんです。

 

私は、せっかく映像的なトリックを使える「映像作品」なのだから、積極的に特撮を使って、思い通りの構図の映像を安価に実現させたいんです。

特撮で構図のバリエーションを豊かに

例えば、崖っぷちのシーン。

特撮を使えば、2通りの映像合成が考えられます。

  • 安全な場所で楽に撮影して、「険しい崖」を映像合成する
  • 険しい崖の映像に、グリーンバックで撮影した人物を合成する

この手法を採れば、アニメーション作品やコミック作品のように、イメージ優先の構図の映像が手に入ります。

 

漁船のシーン。

私だったら、港に停泊中の漁船の撮影許可だけもらって、実際には乗り込んだり、沖に出たりということを一切しない方法を検討します。

船の映像を切り抜いて外洋の映像に貼り付け、その船に乗っているように、グリーンバック撮影した映像を合成するでしょう。

うまくカット割りを考えれば、漁船の上で作業したり、操船したりしている映像も、それらしく作ることができそうです。

もちろん、実際に船に乗らないと撮れない映像はいくつか諦めることになるでしょうが、実際に船に乗り込んで撮影するのに比べ、そのシーンを成り立たせるためのコストパフォーマンスは遥かに高い上、構図のバリエーションも豊かになります。

 

合成映像の最大のネックは、合成の品質です。

確かに、デジタル合成が手軽に出来るようになったとは言え、合成であることがバレてしまうという恐れはあります。

「合成であることがバレると、作品自体が台無しになる」と考えるのであれば、大金を使うか、撮影期間が長くなる事を覚悟して、映画原理主義を貫くのもいいでしょう。

 

私は、「そもそも映画は作り物と認識して見ているのだから、合成であることがバレるのは致命的ではない」と考えています。

もちろん、自分で使える合成技術は努力で進歩させて、場合によっては、合成であることを隠すための、姑息な工夫も施します。

その工夫そのものが、映画作りの楽しさの大きな要素であるとさえ思っているのです。

 

参考になれば幸いです。

 

特撮で理想の構図を成り立たせる参考記事が他にもあります。

「こだわりの構図」は合成で作れ

(ブログ記事一覧)

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