クロマキー合成時に被写体と背景の光の角度を合わせる必要性はどこまであるか

結論:そこまでシビアでなくていい?

特撮という中にはいくつかのカテゴリーがあって、それぞれとても楽しい魅力があります。

その中でも、低予算で作品を成り立たせるために、特に有効なのが「映像合成」です。

 

これは本来、とても技術的なハードルが高くて、昔の自主映画では自然な映像合成は難しいものでした。

 

例えば、角川映画の「里見八犬伝」(83)などは、ファンタジーなので、映像合成も楽しい仕上がりで楽しめます。

しかし、ずっと後の作品「激突!将軍家光の乱心」(89)では、迫力のある素晴らしいアクションシーンに対して、いくつか挟まれる合成映像の極端な不自然さが、マイナスの印象を残してしまっています。



それが、映像をデジタルデータに変換して、パソコン内で編集ができるようになったことで、それまで複雑で調整が難しかった映像合成が、とても容易になったんです。

 

合成映像の代表としては、例えば、グリーンバックを使用した「クロマキー合成映像」があります。

 

この合成の基本は、「背景」と「人物」を別々に撮影して合成し、人物がその場所にいるように錯覚させることです。

最近では、テレビ会議システムの中で、人物の背景だけ別の部屋や景色に変えている人も多いと思うので、イメージが湧きやすいと思います。

 

この映像合成ですが、自然な状態に合成する前提として、「光の向きを合わせる」というものがあります。

光の向きというのは、光源を揃えるという事です。

 

例えば野外の背景映像を良く見ると、太陽がどちら側にあるか、影の向きから判断できます。

理屈からすると、その場所に立っている人も、同じ角度で光が当たっていなければいけません。

そこで、グリーンバックで人物を撮影するときに、背景映像を確認しながら、人物に当たる光の角度を調整する必要があるわけです。

 

と、これが、合成用撮影の基本であり、鉄則なのですが、果たしてそれがどこまで絶対なのか、という事です。

 

もちろん、「光の向きを揃える」ということが正解です。

それに間違いはありません。

 

ただ、「それを守らなかった場合、どれくらい問題なのか」ということも考えた方が良いと思うのです。

光の角度は揃えなければいけないのか。

 

色々と反対意見もあるでしょうが、私の結論は、「ほとんどの場合、光の向きは揃えなくていい」というものです。

合成写真と合成映像の違い

合成映像は、合成写真の発展版と言えます。

古くは、合成写真は例えば人物の写真をカミソリで綺麗に切り抜いて、背景写真に貼って作っていました。

やり方は原始的ですが、その技術はすさまじく、現代では再現できる職人はいません。

 

戦中戦後の新聞では、合成写真を平気で掲載していましたが、実際には存在しない「戦闘機工場内部の写真」など、本物に見える出来栄えです。

 

写真は、1つの映像を重ねれば完成ですが、動く映像、特に、人物を合成しようと思うと、複雑さが跳ね上がります。

「森の中で撮影した写真」よりも「森の中で撮影した動く映像」の方が、特に輪郭部分を綺麗に合成するのが難しいんです。

 

ところが、前述のように、パソコンを使って合成できるようになると、「綺麗に合成できる」という部分のハードルが下がって、ある意味では、「合成写真より合成映像の方がごまかしやすい」という要素も出てくるんです。

 

合成写真と合成映像の最も大きな違いは何かというと、時間の存在です。

 

合成写真には、時間が存在しません。

見る人がすぐ次の写真に目をやれば、一瞬しか見られませんし、アラを探そうと思ってじっくり細部まで観察しようと思えば、いくらでも長い時間、見ていられるんです。

当然、長い時間、じっくり見られれば、合成のアラは発見されることになります。

 

それに対して、映像には時間があります。

合成映像のアラを探そうとしても、ボロが出る前に次々と映像を切り替えてしまえば、検証を妨害することも出来るんです。

 

通常は、映像を鑑賞するときにアラ探しするのがメインの目的ではありませんが、特に、低予算の映画は合成のレベルも低いことが多いので、どうしても破綻している部分が目立ちがちです。

そこで、効果的な方法として、アラが目立つ前に、テンポよく映像を切り替えてしまうことが有効です。

これは「退屈」というストレスが溜まりにくい点でも、有効な手法です。

 

私は常々、「1つの映像の表示時間が短い場合、光の向きを合わせる意味は少ないのではないか」と感じていました。

合成映像でなく、通常の撮影をしたシーンでも、数日がかりで撮影したような場合、光の向きがどうしてもバラバラになってしまいます。

それを懸念しながら編集しても、案外、繋がった映像を見ると、光の角度が違っていて、理屈としてはおかしいはずの映像も、それほど気にならずに見ていられることが多かったからです。

 

短編作品の「暗黒魔獣ワニガメイーター」では、あえて意識して、光の角度を無視して撮影する実験をしたのですが、実際は光が当たっている角度が逆だったとしても、全体の明るさのバランスを揃えると、驚くほど、角度の間違いには気付かない、ということが検証できました。

 

写真より映像の方が、合成に関しては有利だったんです。

費用対効果を考える

「角度がでたらめでも映像は成り立つ」としても、だからといって、それだけでは積極的にルールを破る動機にはなりません。

もちろん、そのルールを破るには、それなりの理由があります。

 

理由は2つ。

時間と選択肢です。

 

光の向きを気にしなくていい、という前提だと、グリーンバック撮影の時の照明を、かなりラフに設定できます。

 

映画撮影は時間が掛かるものですが、特にプロの現場の場合、時間が掛かる原因の大半は「照明の変更」です。

映像作品としてこだわる独特の価値観があるので、数秒の映像を撮影して、照明の変更で30分待つ、ということを繰り返すのが映画の世界です。

 

私は、その部分を真似しようとは思わないので、簡易な照明の設定で10倍のペースで撮影を進める方を選択します。

映像のクオリティの低さは、完成本数を含めた、別のところでカバーしよう、という発想です。

私は映画制作で最も重視すべきは、「時間短縮」と思っています。

1本を完成させるのに何年も掛けるような制作体制を続けてきて、導き出した結論です。

 

光の角度にシビアにならなくても良いとすると、使える映像の選択肢が格段に増えます。

 

例えば、背景映像が逆光だとすると、正面から光が当たっている人物は本来、合成できません。

でも、やってみると分かりますが、人物の映像をやや暗くして背景と明るさのバランスを合わせると、一見、それほどおかしな合成映像には見えないんです。

 

もしかすると、4秒見続けたら、ひどく不自然なことに気付くかもしれません。

でも、表示時間が2秒なら、光の角度の間違いを認識させずに、その場面を成り立たせることが可能なんです。

 

少なくとも私の映像づくりの目的は、「2001年宇宙の旅」のような、細かなところまで破綻のない作品を世に出す事ではありません。

エンタメ作品として、面白いものを、できるだけたくさん、生み出したいと考えています。

 

純粋に「映画とは芸術だ」という人には理解されないかもしれませんが、そもそも特撮は「騙し」を楽しむ映像です。

光の向きがでたらめの映像を、いかに自然に合成して成り立たせるか、というのも、映像制作の楽しみの一つになり得ます。

 

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