その本物志向で割に合いますか?・昔ながらの本格映画手法を真似ても成功できない時代

「映画原理主義」と低予算映画は相性が悪い

いきなり「映画原理主義」などという、意味不明な言葉を使いましたが、これは私の造語です。

要は、「映画とは本来こう作るべきである」という、昔ながらの価値観を最優先した考えです。

そういう価値観の人にとっては、映画は神聖で、私の作る作品などは「そんなの映画じゃないよ」と批判する対象になるでしょう。

もしかしたら、それが正しい意見なのかもしれませんが、そうだとしたら、私は自分の作品を「映画」ではなく「ストーリー映像」と言い換えるだけです。

 

皆さんは、映画の製作費を聞いて、疑問に思ったことがないでしょうか?

 

20世紀の伝説的喜劇映画で「男はつらいよ」というシリーズ映画があります。

地方ロケも絡めるものの、毎回、同じ撮影セットの場面がメインの人情ドラマで、地味か派手かといえば、間違いなく地味な作品です。

この製作費は1本、15億円前後です。

ど派手なアクションや高いCG映像を使っていない「寅さん」が15億円ですよ?

10分で1億円以上掛かっていると思うと、いかに映画の世界は異次元のお金が掛かるか、ということが分かります。

私たちは、真似事として映画作りを楽しむ上で、このような「本物の映画」の「こうあるべきだ」を踏襲できるわけがないと思いませんか?

 

もちろん、「映画原理主義」に従って作品を作る魅力は大いに理解できます。

本物志向に従えば、カメラの前には出来るだけ、そのシーンの全てを再現させる必要があります。

その現場には、ものすごい魅力があることは確かでしょう。

 

例えば、宇宙服を着た人物が登場するSF作品を撮ろうとしましょう。

さすがに低予算映画で、舞台となるセットを実物大で制作することは無いと思いますが、役者が着る「宇宙服」は用意すると思います。

デザインを決めて素材を探し、縫製していくのも楽しい作業ではあります。

ただ、材料費だけでも馬鹿にはならない金額になる可能性があります。

しかも、完成した宇宙服が、イメージ通りにかっこよく見える保障はありません。

 

古い低予算B級映画のSF作品で、マンガのようにチャチな宇宙服が登場しますが、あれだって相当の金額を使って、プロの手によって作られた衣装なんです。

私たちが手作りで、もっとリアルでかっこいい宇宙服を作れるでしょうか?

せいぜいが、コントに登場する宇宙飛行士の衣装どまりではないでしょうか?

 

もう一つの例として、「犬神家の一族」など、横溝正史原作のミステリー映画風の作品を撮るとしましょう。

 

雰囲気の良い古い日本家屋の建物は既にあって、幸い、撮影の許可ももらえるとします。

「場所が確保できて、出演者が揃えば、あとは撮るだけ」と思うかもしれませんが、恐らく、アマチュアスタッフが頑張っても、1日に10数カットしか撮影は出来ないと思います。

時間にして2~3分程度でしょうか。

このペースで作品を撮りきるためには何日必要でしょう?

 

趣味の映画作りは、連日撮影できるプロ集団の撮影ペースとは大きく異なります。

週に1度とか月に1度の撮影ペースしか確保出来ない事がほとんどです。

それを考えると、かなり高い確率で、撮影は頓挫すると思われます。

 

映画本来のやり方を踏襲して、映画原理主義にのっとって映画を作ろうとすると、こうなる危険が高いんです。

 

そこで私が提唱するのは、「映画原理主義」とは真逆の「邪道映画」の手法です。

これは、たとえ偽物と言われようが、さまざまな制約内でも、自分のイメージする「画面」を再現することを最優先したやりかたです。

低予算映画の強味とは

例えば先に挙げた2つの例を、邪道映画的に計画してみます。

 

まずは、宇宙服問題。

私なら、1/6程度の大きさを目安にして、ミニチュアの宇宙服を作ります。

正確には、「宇宙服を着ているように見える人形」を作ります。

「ミニチュアの服」を作って人形に着せるよりも、「服を着ているように見える人形」を作った方が、工作がはるかに楽だからです。

1/6のミニチュアの宇宙服に使う材料の分量は、実物大の宇宙服と比べ、単純に1/36で済む計算です。

 

実物大の宇宙服は、下手をすると10万円くらい掛かってしまう可能性がありますが、ミニチュアなら数千円で作れそうです。

撮影はその人形を人形劇のように操作して行いますが、時折見える、人物の顔のショットで役者の顔を綺麗に合成すれば、宇宙服の中に人が入っていると錯覚させることは十分可能と考えます。

特に宇宙服を着た人物の動きが、そもそも人形っぽいからです。

 

このミニチュア撮影は、それ自体、客観的に見ても魅力があるはずです。

もちろん、本気で観客を騙すことを目指して撮影・編集を行いますが、騙せた後、「実はあればミニチュアなんだ」ということをメイキング映像などで見せれば、観客の何割かはもう一度作品を見直して楽しめます。

 

日本家屋での撮影問題については、私が普段使っている「升田式スーパープリヴィズ方式」を使います。

あらかじめ用意した絵コンテに従って、監督が一人で、背景として必要な室内の映像を撮影しておきます。

この撮影には小一時間あれば十分です。

これなら場所を提供してくれる相手の負担も、最小限に抑えられます。

 

人物は別途、その背景に合成する前提で、グリーンバック撮影して、映像合成によってそのシーンを作り上げます。

全て、グリーンバックの前で撮影するので、撮影場所も一定の広ささえあればどこでも出来ますし、上手く計画すれば最大で1日に100カット以上の撮影も可能だと思います。

 

役者にとっては、雰囲気のあるセットの中で芝居が出来ないので、「こんなのは演技ではない」という不満もあるでしょう。

カメラマンも、腕の見せ所はありません。

 

でも、目的は「物語に必要な映像を揃える事」なんです。

王道のやり方では、その制約の中では、理想的な分量の撮影が出来ないので、そもそも場面を成り立たせるための映像が揃わないんです。

映画原理主義の人は、「時間が足りないのなら、何年でも掛ければ良いじゃないか」と言いますが、それこそ非現実的な暴論です。

  • それは映画じゃない
  • 撮影の楽しみが半減する
  • 演技のやりがいが無い
  • 作品が表面的になる

など、いくらでも批判は想像できます。

もっともだとも思います。

 

しかし、それらの批判を受けたとしても、「想定したストーリーの内容を、想定した映像の組み合わせで表現できる」というメリットには敵わないと思うんです。

 

もちろん、これは本来自由な創作をする上での選択肢の一つに過ぎません。

「映画原理主義」ならではの「現場」を楽しみたい、という場合は、大金を工面したり、壮大な製作期間を確保して挑戦してもいいでしょう。

 

ただ、せっかく低予算が前提の映画を作るのであれば、その強みを活かしたいと思います。

大手の映画が、コスト削減のために、宇宙服をミニチュアで作るわけにはいかないんです。

「それくらい作れよ!」と多くの人から批判されるでしょう。

「プロなのに恥ずかしい、情けない」という感覚もあるかもしれません。

「同業者の手前、姑息な手は使えない」という動機も意外とあると聞きます。

 

私たちは、お金を掛けられないという制約はありますが、「どんな手を使ったところで、恥ずかしくは無い」というメリットがあります。

むしろ、ミニチュア活用の工夫は「あの宇宙服、全部ミニチュアなの!」と楽しんで感心してもらえる要素です。

 

そんな自由があるのは、実は低予算のDIY映画、インディーズ映画の最大の魅力であり、武器だとさえ思います。

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