エンタメ作品は楽しいことが最優先:自主映画を「それらしく」見せる裏技
本物志向は一部の「通」にしか伝わらない
私はよく、自分の映画作りの方法を「邪道映画術」と呼んでいます。
「王道」に対する「邪道」ということで、一見、卑下したり謙遜したりしている風を装ってはいますが、実のところ、色々な面で「王道」には反感があるのです。
分かりやすく言うと、昔ながらのやり方を順守することを優先するのが「王道映画」です。
昔の映画は、機材の性能も今より低かったり、演技も独特なオーバーアクションが多かったり、という、どちらかと言うと今よりレベルが低いと思っている人も多いと思います。
ただ、圧倒的に資金が豊富だった時代があります。
その時に出来上がった習慣も多いんです。
カメラに映り込むもの全てを、実物大で作って配置する、というのもその一つです。
「駅のホームのシーンの撮影に、国鉄が協力してくれない」という理由で、駅のホームのセットを作って、本物の蒸気機関車を買った、という事もあったそうです。
それはそれで豪快で面白いエピソードではありますが、「映画とは本来こうでなくっちゃ」という意見には反対です。
そういう本物志向を最優先にすると、小遣い程度の資金で作る、私たちの「趣味の映画」は、全てこじんまりとした、貧乏くさい作品しか作れなくなってしまいます。
映画とは本来、相当に自由なものです。
舞台と違って、映像的な工夫の余地が大きいものなんです。
これを利用しない手はありません。
本格的な大作映画の人気とは別に、いわゆるB級と言われる映画にも根強い人気があります。
私も大好きです。
B級映画の魅力は、恥ずかしげもなく大風呂敷を広げられるところです。
大規模な撮影が出来る訳でもないのに、スケールの大きなストーリーを展開したり、多少の映像的難点があっても「この構図の映像を使うのが面白いはず」という信念さえ感じます。
ある意味で、B級映画はとても「映画らしい側面」があると思うんです。
嫌われる「邪道」が実は有効
撮影においても、「これこそが撮影だ」という、昔ながらの信念を持っている人からは、邪道なやり方は嫌われます。
例えば役者の上半身を撮影していて、次のショットでは顔のアップになる場合。
一旦カメラを止めて、顔にズームアップしてから撮影すれば、望みの映像は手に入ります。
でも、これは「かかしカメラ」と言って、昔ながらのカメラマンは嫌うんです。
アップにするだけではなく、必ず、カメラの位置を少し移動しようとします。
もちろん、移動することによって背景映像が変化して、映像的にプラスになる要素もあるんですが、撮影時間はどんどん増えます。
低予算でスケジュールに余裕が無いくせに、そんなことを繰り返しているから、
- 撮影の現場は時間管理がルーズで
- スタッフ全員が過労状態
- 最後は余裕がなくなってやっつけ仕事
- スケジュールの関係でシナリオ変更
という、最悪の悪循環からいつまで経っても抜けられないのではないでしょうか。
私は、かかしカメラによるマイナスより、時間短縮によるプラスの方がはるかに大きいのを実感しているので、むしろかかしカメラを多用しています。
「かかしカメラなんかやってると、立派なカメラマンにはなれないぞ」という脅しはちっとも怖くないんです。
立派なカメラマンになりたいわけではないからです。
そんなことよりも、スケジュール超過で、せっかく考えたシーンを割愛することになる方が100倍残念です。
演技の分野でも「王道」と「邪道」の壁はあります。
特に、演技経験者の人にあるのが、「そのやり取りは気持ちが入っていないから演技とは言えない」という抵抗です。
確かに、演技者としては、納得する心の動きを反映させた演技をするのが楽しいでしょうし、満足感も高いと思います。
でも、予算も少ない小規模な作品の場合は、演劇のように十分な練習は出来ません。
ほとんどぶっつけ本番で撮り始める撮影現場は、常にせわしなくバタバタしているものです。
とてもじゃありませんが、役者の満足感を優先したペースで撮影は出来ないんです。
「役者は人形じゃない」という批評も良く聞きますが、
- 役者の自己満足を優先してスケジュールを長くする
- 逆に作品の規模を小さく変える
のは本末転倒と考えています。
ですから私は、少なくとも自分のエンタメ作品に関しては、「自分の演技ポリシーを主張する人」と調整しながら組むことは避けます。
役者としての価値観と、現実の状況の間でお互いに不満の残る撮影になるよりは、製作者の意図を汲んで「人形」に徹してくれる「演技未経験」と組んだ方が良いとさえ考えています。
舞台演劇でなく、せっかく映像作品なんですから、その特徴を活かして、映像的な工夫をすることによって、素人役者が「それらしい演技」をしているように仕上げた方が、楽しいと思っています。
演技力をカバーする映像力
プロの役者と素人役者の最大の違いは、もちろん演技力です。
演技力のない素人役者を起用する場合、私は、演技の練習をするのではなく、場面場面で「それらしい表情」を切り取ることに徹します。
本来、表情は感情から出ますから、演技論的には「感情を理解して表現する練習」をすべきでしょうが、短時間でその技術が身に付くわけはありません。
「もっとこういう気持ちで」という指示ほど効果が無いことはありません。
その気持ちになったところで、それを表現する技術がないからです。
批判を承知で言えば、実践の現場で必要なのは、具体的で表面的な「表情の変化」と考えます。
もちろん、立派な役者になるには、うわべの形をなぞってもダメでしょうが、そもそも素人役者は「立派な役者」になる必要もありません。
その日、カメラの前で、作品に必要な「演技らしきもの」ができれば良いんです。
舞台と違って、映像作品における演技(らしきもの)は、カメラの前で何度失敗しても構いません。
「一度だけうまく行けばOKという遊び」と思ってもらえば十分と、私は考えます。
王道の映画作りが大事と思っている人や演技者には不評を買うと思いますが、「実際に現場ではグダグダで失敗だらけなのに、編集後はそれらしく見える」という自分や仲間の姿を見ると、逆に楽しいものです。
私は、趣味としての映画作りの楽しさの大部分は、この「嘘くささ」にあると思っています。
具体的な映像の工夫としては、単純にカットを細かく分割することが最も有効です。
演技が出来ませんから、長く映り続けているとアラが出ます。
役者としての魅力やカリスマ性があるわけでも無いので、長く映っていては、間が持ちません。
カットを細かく分けることで、
- アラを隠し
- テンポが良くなり
- セリフが覚えやすい
というメリットが生まれます。
特に私は、自分でシナリオを書いているにも関わらず、撮影時に全然セリフを覚えられないたちなので、できるだけカットを細かくしています。
そうすると、結果として、演技が出来る役者を長回しで撮影した映像より、様になった演技をしているように見えることが多いです。
同じ作り手が見ると、「セリフが覚えられなくてカット割りしたな?」と分かったりしますが、あくまでも作品は観客が楽しむことを想定します。
裏の事情はどうでも良いんです。
もう一つ、素人役者の演技的問題があります。
それは音声。つまり「セリフ回し」です。
私は、演技が上手く見えるのは、8割方、セリフの言い方だと思っています。
これも、演技論を横に置いて分析すると、
- 声の音程に幅があると上手く聞こえて、
- 音程の幅が狭いと下手に聞こえる傾向がある
と私は考えています。
音程の幅が狭いと、いわゆる「棒読み」の状態になるんです。
そして、これは自分で演技の真似事をして撮影してみると分かりますが、自分で思っているよりも、音程の幅は狭くなりがちです。
つまり、セリフのイントネーションをややオーバーにしないと、本人の認識より棒読みに聞こえるという事です。
素人役者に演じてもらう場合、セリフを音程で指示するのは有効です。
「この単語を高い声で言って、ここを低い声で」
という指示ができると、やることが明白だからです。
間違っても「ここはこういう感情だから」という説明はしません。
演技の訓練を受けていない人には、その感情を表現する技術が無いからです。
割り切って、人形として演じる事を楽しんでもらうようにしてください。
私は自分の作品に素人役者として出演していますから、この難しさは常に感じています。
表情を作って、セリフを覚えるのが精いっぱいで、なかなか声の音程まで頭が回らないんです。
そこで私が良く採用するのは、撮影現場ではセリフの演技は捨てて、後からアフレコをするときにセリフの音程などにこだわる方法です。
アフレコ前提で撮影すると、録音スタッフが不要ですし、撮影速度はとても早くなるメリットもあります。
やってみると分かりますが、アフレコ時に声だけに集中すると、音程に注意したり、それらしい演技に聞こえるセリフ回しにするのは比較的楽です。
セリフを口の動きに合わせる事は、ある裏技を使うと楽に出来ます。
これは別の機会に解説します。
このように、撮影にしても演技にしても、「昔ながらのプロのやり方」だけをお手本にするのではなく、自由な発想で楽しんで、「それらしい作品に仕上げられる」というのが、アマチュアの自主映画・DIY映画の特徴です。
「メイキングのグダグダに反して、完成品はそれらしい出来」という痛快さを味わいませんか?
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