映画のカット割りは表現の幅を広げ演技力をカバーして間の調整も出来る万能ツール
映画と演劇の最大の違い
オリジナルの映画を制作する際、まずは脚本を用意する必要があります。
もちろん、映画は創作活動ですから、やり方は自由です。
「脚本なんか無しで、即興でどんどん撮ったっていいじゃないか」
と言われれば、それも間違いではありません。
ただ、そのやり方で作った作品が、人に見せられる形になることはまれです。
「一部の天才なら出来るやり方」と思った方がいいんです。
そもそも完成させられる可能性は限りなく低くなります。
ですから、映画制作のしきたりなどという事ではなく、作品を完成させる楽しみを得たいと思ったら、脚本が必要というわけです。
ここに「映画」と「演劇」という2つの創作があります。
この2つには「ストーリーを持ったドラマを大勢の観客に一斉に見せる」という共通点があります。
そもそも、初期の映画は舞台演劇をそのまま撮影して上映していました。
ただ、考え方に大きな違いもあります。
それが、「カット割り」の有無です。
演劇は、観客が舞台で起こる出来事を、常に「全体の風景」として見ます。
もちろん、意識の集中をして心理的にはズームレンズを使ったり、スポットライトを使って、強制的に一か所に注目させる手法もありますが、基本はずっと、いわゆる「引きの映像」を見るわけです。
舞台中央でメインのやり取りをしている後で、他の役者がそれぞれ意味を持った芝居をしているのが全部視野に入る魅力が、演劇の魅力の一つでしょう。
それに対して、映画は
- 引きの映像
- アップの映像
を組み合わせて表現していきます。
これを「カット割り」といいます。
多くの場合、演劇関係の人は、映像のカット割りを嫌います。
その場面を役者の一連の芝居で表現できるように、普段から訓練しているのですから、せっかくのその技の効果が分かりにくくなるカット割りを嫌う気持ちは分かります。
後ろで演技している脇役の役者たちは、そもそも観客の目に触れる時間が少なくもなります。
でも、いくら演じ手、作り手がこだわりを持っていても、本来はエンタメ作品である以上、観客の満足度を最優先に考える必要があります。
映画にしろ、舞台演劇にしろ、「画面」を通して鑑賞する上では、「カット割り」がほぼ必須の技法なんです。
カット割りで広がる表現の幅
具体的にカット割りをすると何ができるかというと、例えば一瞬での場面転換です。
映画は映像のカット割りで容易に違うシーンに切り替えることが出来ます。
カット割りが使えない舞台演劇では、セットの入れ替えを見せないために、「暗転」といって、舞台を暗くして、その間に別の場面のセットを作り込んだりします。
そのため、同じ100分間の作品だとしても、映画の方がシーンの数を圧倒的に多く出来るんです。
カット割りで出来ることは場面転換だけではありません。
アップの映像を挿入することで、小さな表情の変化や指先の動きなど、舞台の客席からは見えないような細かな表現を使うことが出来ます。
カット割りは素人役者の大きな味方
舞台役者が一連の演技を滞りなくこなしたり、全てのセリフを憶えていて、それをあたかも今、思いついたように話せるのは、とても高度な技術だと思います。
一方で、DIY映画を作る楽しさは、技術のない素人役者でも工夫によって「それらしく」作品に登場出来ることです。
例えば、セリフ一つとっても、素人役者は舞台役者のように自然に言う事が出来ません。
憶えたセリフを言うだけで精いっぱいですから、ちょっと長いセリフがあると、暗唱しているような言い方になりがちです。
その時に有効なのがカット割りです。
長いセリフを分割して、別方向から撮影した映像にカット割りしながら撮影することで、完成作品の中ではあたかも長いセリフを流ちょうに話しているように見せることが出来るんです。
私が実践している撮影方法を紹介します
それは、短いカットを繰り返し何度か演じさせてしまうことです。
繰り返し演じる際に、カメラは止めません。
「よーい。スタート」という声も掛けません。
これは賛否両論ありますが、特に素人役者の場合は、「スタート」という掛け声でスイッチが入る様子が、演技にあからさまに出てしまって、とても不自然になります。
それよりも、そのセリフの少し前の芝居から繰り返し演じてもらう事で、「いい具合」に演技に飽きてもらいます。
繰り返すことでセリフからも硬さが取れてきます。
その、演技をしていないような、さらっとした言い方が、一見、上手い芝居に近く見えるんです。
演技論的には邪道でしょうが、私は立派な役者を育成する立場ではありませんから、最終的に作品のレベルが「高そう」に見えればそれで良いんです。
実は演技が全くできない素人なのに、役者より自然な芝居に見えたら痛快じゃありませんか。
私も含め、素人役者を「それらしく」見せるために、カット割りを利用しない手はありません。
間を嫌う観客にも有効なカット割り
実は、カット割りは最近の風潮にも合っています。
最近の観客は、とにかく「間」が嫌いで、耐えられないんです。
これは元々、年齢が若い人には見られる特性ですが、テンポのゆったりした映像は刺激が少なくて見ていられないんです。
映像で簡単に刺激を加えるのに有効なのがカット割りです。
また、舞台の例に戻りますが、観客は常に舞台全体を見ているのだから、といって、初めから最後まで舞台全体を映した映像を見せたとします。
退屈で全く見ていられないと思います。
「これで十分」というのは役者当人や関係者だけの筈です。
でも、場面に即して適切にカット割りをして、アップ映像を加えることで「刺激」が増えます。
それによって「退屈」というストレスが軽減されるので、その舞台本来の面白さを味わえるわけです。
私は普段、舞台演劇の映像編集も行っていますが、編集の目的はただ一つ、「退屈を減らす」ということです。
その編集をすることで、舞台映像は、単なる関係者用の記録映像から、販売用の商品に出来るんです。
テレビドラマなどを注意して見てください。
普通の日常を描いた場面でも、1秒くらいの短い映像を多用していることに気付くと思います。
無意識レベルで、こういう刺激を与えることで、退屈しにくい映像にしているんです。
特撮で利用するカット割りの例
- 場面転換が出来る
- 細かな描写が出来る
- 演技力不足を補う
- 刺激を加えられる
という利点から、カット割りを解説しましたが、もちろん、特撮映像でもカット割りは基本になります。
私は普段、「映像合成」を多用するので、「特撮=合成」と思われてしまうかもしれませんが、カット割りが巧みなら映像合成はほとんど要らないくらいです。
例えば、モンスターと対峙する主人公のシーン。
場面によっては、主人公側を写した映像と、ミニチュアモンスター側を写した映像を細かく切り替えるだけで、十分に成り立つんです。
場合によっては、映像合成特有の不自然さが一切ない分、この方がとてもリアルな場面になります。
B級モンスター映画の傑作「トレマーズ」なども、冷静に分析してみると、そんなシンプルで効果的なシーンがいくつもあります。
特撮映画に限らず、カット割りこそ映像制作の面白さだと思います。
「この場面をどういうカット割りで構成しようかな」と事前に考え、撮影・編集後にその効果を確認できるのは、映画ならではの楽しさです。
あなたも是非、意識して楽しんでみてください。
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