「最初のアイデア」を信用するな・「視点を変えたB案」が大事
映像設計が楽な時代
映像作品ですから、映像設計時、全ての場面は「概念」ではなくて、具体的な「映像」で想像することが必要です。
ここが、小説やオーディオドラマと違うところで、「鑑賞する人がそれぞれに想像してくれればいい」というぬるい余地が無いんです。
それだけに、ごまかしがきかなかったり、読者が良いように解釈してくれることがなく、直接的な揚げ足取りの批判もされやすい訳です。
批判する側は意見を重ねるたびに、自分が偉くなったような錯覚が強くなっていきますから、時にはあなたの作品も貶されることがあるかもしれません。でも、単に批判するのと違ってはるかに難易度の高い「創作活動」を行なっているのはあなたの方ですから、気にしない事です。
映像の加工技術が飛躍的に進んだおかげで、思いつく場面は大抵作れるようになりました。
昔であれば、思いついた場面を「どうやってカメラの前に再現するか」という課題が全てでしたが、今は概念が違います。
映像をデジタルデータとしてパソコンの中に取り込んで、編集や合成が出来る時代ですから、これを利用する選択肢もあります。
全く完成映像と違うものを撮影して、パソコンの中で設計通りの形に「組み立てる」ことが出来ます。
昔ながらの映画の伝統技法にこだわる人たちは、あくまでもシンプルに撮影した映像を編集することで作品にすることを評価して、映像合成を駆使した作品をとても軽く見る傾向があります。
それは、個人の嗜好なので構いませんし、条件的に古いやり方が出来るのであればやればいいでしょう。
私は、「どうやってカメラの前に再現するか」という、映像合成が出来ない時代から、見よう見まねで映像作品を作ってきました。
その上で、今の時代の「映像加工の自由さ」の方により大きなメリットを感じているので、それを最大限に利用する方向で考えています。
A案の罠
映像作品にはストーリーがあります。
シナリオを文章で書いて、場面ごとに「絵コンテ」と呼ばれる絵に描いて、映像設計をするのが一般的です。
シナリオが先にあって、そこから映像をイメージする場合もあれば、イメージが先に浮かんでいて、それをシナリオの中に組み込むこともあります。
どちらにしても、最初に「映像を具体的にする」段階があるわけです。
大抵の場合、それは絵コンテに描き起こす時ですが、その「最初に思いついた案」には過度な愛着が湧くものです。
特に、数をこなしていない人の場合はこれが顕著で、無意識にこの案を「絶対視」してしまうんです。
これが私が「A案の罠」と呼ぶものです。
そのA案の実現が楽に可能であれば何の問題もありません。
問題なのは、その案を形にするのが困難な場合です。
- 元になる映像素材の撮影が困難
- 撮影後の映像加工が困難
- その両方
困難の度合いはさまざまで、「不可能」から「高くついて割に合わない」という状況の間にあります。
ここで、私の経験から言えることがあります。
それは、「困難な方法で形にしても、満足度が高くなるわけではない」ということです。
もの凄く苦労して作った映像だからといって、それが他よりも魅力的になるわけではないばかりでなく、大抵の場合、かえって分かりにくくなったり、不自然になって、作品の印象を悪くしてしまうんです。
これは結構、悲劇的です。
実は選択肢はたくさんある
手間をかけて苦労したのに、かえって悪い結果になってしまうという失敗を出来るだけ防ぐ方法はあります。
まずは「これは実現困難だな」と思う場面にも、他の表現の可能性があることを認識することです。
先にも書いた通り、初めの案には愛着が湧いてしまっていて、それが素晴らしい内容だと判断しがちです。
でもまず、その自分の判断を疑ってみます。
何故か困難な選択をしていることがとても多いからです。
- 素晴らしい結果を得るためには困難は付き物
- 困難があってこそ、素晴らしい結果が得られる
これは間違いです。
楽な方法を採用した方が結果が良くなることのほうが圧倒的に多いのが現実です。
- 「その映像が良い」と思ったのはどういうところか。
- 「ここで表現したい要素」は何か。
これを分解して考えてみましょう。
客観的に見れば「その場面自体、要らないんじゃないか?」ということもありますが、ここではそこまでの判断は避けます。
それを突き詰めると「この創作自体、意味があるのか?」という虚無主義に陥る危険があるからです。
少なくともあなたは、その場面が欲しいと思ったわけで、それは残す方向で「B案(代替案)」を考えます。
まず、あなたにとって捨てがたい要素、大事な要素(要は実現したい事)を明確にします。
それらを残した上で、B案を考えるとき有効になるのは
- 分割
- 向きを変える
の2つです。
色々な要素を一つの画面に組み込んで、それをじっくり見せる場面を形にするのは大抵、面倒です。
そして、1カットに情報量が多すぎて、観客がよく理解できないことも起きがちです。
苦労して作った数秒の映像が作品のマイナス要因になってしまっては本末転倒です。
まずは、「映像を複数のカットに分解する」ことを検討してみてください。
ごまかし的な意味合いもありますが、カットを分割すると、さまざまな「映像的な破綻」が目立たなくなるメリットもあります。
多くの場合、撮影規模も小さくて済みます。
例として、「砂漠の町の市場」を考えてみましょうか。
あなたが「残したい要素」は、
- 人の多さ
- 雑多な感じ
だとします。
これを1カットで表現しようと思ったら、かなり大掛かりな撮影になりますし、大掛かりに撮影したとしても、その雰囲気が出せるかどうかは微妙です。
画面を分割するとしたら、
- 市場全体の映像
- 人々の行動のアップ映像(多数)
の組み合わせになるでしょう。
全体映像は、詳細が見えないくらいに縮小してして、簡単な合成映像を繰り返すことで作ります。
「市場らしき場所」ということが表現できればいいと割り切ります。
引きの映像であれば、人物の識別が出来ませんから、3人程度の人を別の役で撮影します。それを組み合わせることで、30人が市場にいる場面は作れます。
詳細は見えませんから、映像合成の破綻箇所も目立ちません。ミニチュアのテントやラクダの模型なども効果的かもしれません。
これを1秒から2秒だけ見せて、あとはアップに切り替えます。
アップ映像は、
- 商品の取引をしている手元
を中心に多数のパターンを撮影します。
同一人物であることが分からないようであれば、顔を写してもいいでしょう。
そんな短い映像をたくさん組み合わせることで、市場らしき「雑多感」が出るのではないでしょうか?
これが「分割」という手法です。
もう一つの「向きを変える」というのもとても有効な発想の転換です。
例えば、「パトカーの横で話す人物」が必要だとします。
パトカーは実際に使えませんから、ここではミニチュアの合成を使うことを想定します。
ここで、
- パトカーの手前に人がいる
- パトカーの向こうに人かいる
という角度違いの映像を考えてみてください。パトカーの横にいる人をどちらから見るか、という問題です。
意味合いは同じで、シナリオ的にはどちらでもいいとしても、撮影もどちらでもいいという事にはなりません。
圧倒的に「パトカーの向こうに人がいる」という方が望ましいんです。
「パトカーの手前に人がいる」というより映像合成が楽にできるからです。
楽な合成というのは、「簡単に自然な合成が出来る」という意味です。
恐らく、何の予備知識もなくその場面を見ると、パトカーがミニチュアの合成であることに気付かないレベルの映像には出来るはずです。
仮に、最初に思いついた「パトカーの手前に人がいる」というA案の構図にこだわっていたら、その部分だけ人物をグリーンバック撮影する必要があります。
人物のグリーンバック撮影という、比較的大掛かりな撮影が必要な上、パトカーの合成に比べて合成の不自然さが目立ちがちです。
以上のように、守りたい要素はそのままに、B案を採用すれば、格段に低コストで望んだ映像が作れます。
必要なのは
- 「こだわるべきポイントは何か」の判断力
- 映像の知識と発想力
です。
簡単な特撮を使う選択肢さえあれば、映像の可能性が広がることを憶えておいてください。
参考になれば幸いです。
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