後付けで伏線を作るヒントは都市伝説・偶然とこじつけを利用して脳に快感を与えるのが秘訣
物語「最大の面白さ」は伏線回収にあり
私が「面白いストーリー」について考えるのは、分析を楽しみたいためでもなければ、他人の作品を批判して悦に入りたいためでもありません。
自分でエネルギーを費やして作る作品が「あまり面白くない内容になっちゃったな」と思うより、「我ながら結構面白く出来たんじゃない?」と思いたいからです。
正直に言えば私はほとんどの場合うまくいかず、「物語的には微妙だけど、ここまで作ったんだから最後まで完成させる!」という執念だけで創作しがちです。
その反省やコンプレックスからも「面白さ」を意識したいのだと思います。
物語にはいろいろ種類があり、読み手の好みもさまざまです。
ですから当然、正解はたくさんあることは前提になりますが、一般的に「面白かった」と思える作品には共通の傾向があると考えられます。
その一つが「伏線回収の鮮やかさ」です。
物語序盤から
- 何気ない要素
- いわくありげな要素
をちりばめ、どんどん物語の風呂敷を拡げていって、終盤の展開でそれらが整合性を持って「繋がる」ところを見せられると、「面白い!」と感じることが多いのではないでしょうか。
これがいわゆる「伏線回収」というやつです。
厄介なことに、風呂敷を拡げっぱなしで何の回収も出来ていないのに、「そこも面白かった」と思えてしまう天才的例外作品もあります。
これは文字通り「天才だからできること」と思って、凡人の私は観客としては楽しみつつ、創作者としては真似してはいけないと戒めています。
実際、小説などでも前半は文句なしに面白いのに、後半で急失速してがっかりする作品も多い気がします。
もしかすると、新聞連載などで執筆が始まった作品には性質上、その傾向が強いのかもしれない、とも思えます。
竜頭蛇尾はダメ「終盤のイメージ」が作品の印象になる
物語の鑑賞は絵画と違って時間の流れが存在します。初めから終わりまでのエピソードを順番に鑑賞する事になるわけです。
すると当然、「後から見た部分の印象」が「前に見た部分の印象」を上書きしていく形になります。新しい記憶の方が強いからです。
結果、見終わったときに強く印象として残るのは、ラストシーンや終盤の展開になります。
ですから、鮮やかな伏線回収によって終盤に「面白い」と思った作品は、見た後「面白い作品だった」と記憶されます。
私はいつも構成のまずさが原因で物語の始め方が貧相になってしまいます。
それをカバーしようと(実際にはカバーできていないんですが)序盤の映像は特撮合成などに凝って、観客の興味を持続させようと苦心しています。
でも、いわゆる「つかみ」も大事なんですが、本当に大事なのは前述のように終盤の印象です。
前半が微妙だったとしても、終盤でイメージの挽回が可能なんです。
逆に、前半がいくら魅力的でも、終盤が尻つぼみだと、全体イメージとして「つまらなかった」と記憶されてしまうからです。
極端な例ですが、最近の映画は「エンディングのスタッフロールが長すぎる」とよく言われます。
私も全く同感です。
関係者への敬意としてテロップを細かく入れること自体は理解しますが、作品と全く合っていないように思える歌が2曲も続くほどの長いエンディングを見せられると、映画館を出るときには
- エンディングが無駄に長い映画だった
- トイレに駆け込んだら混んでて焦った
という印象が一番強い作品になってしまいます。せっかくの作品の印象をそんな形で植え付けてしまっていいのでしょうか?
偶然の繋がりを見つけて伏線に昇華させる
問題は、「凡才にも伏線が作れるのか?」という点です。
私は「才能は特にないけれども創作をしたい」という側の人間なので、感性ではなく論理的な方法論にすがりたいわけです。
物語の伏線と言うと、頭脳明晰な作家が緻密に設計してあらかじめ仕掛けているように見えます。
だとすると、その真似はとても出来ないんです。
伏線は良い具合に隠れていないと終盤に機能しません。
凡才が仕掛けようとすると「ああこれはきっと終盤にこういう使われ方をする伏線なんだな」と最初に見透かされてしまうのがオチです。
そこで利用したいのが「偶然」の要素です。
分野は違いますが「計画的偶発性理論」とか「ネットワーク理論」というのも話題になっているのは、「偶然」という要素が無視できないほど重要だからでしょう。
凡才が物語要素の100%を自分の発想だけで作ったら、意外性はほとんど期待できません。
でも、あらかじめ「偶然の思いつき」が混じりやすいような環境にして創作すると、少なくとも「ありきたりな予定調和」を崩すことは出来そうです。そのなかに「伏線の種」を探そうという発想はどうでしょうか?
こじつけの宝庫「都市伝説」
伏線を考えるというのは、感覚だけでごまかせないという意味で、とても難しい作業です。
論理的でなければ面白味が出ません。
そこで参考にしたいのが「都市伝説」です。
例えば有名なアニメ映画に「実はこういう裏設定があるのでは?」ということを都市伝説として取り上げることがよくあります。
恐らく作品の作り手はそんな設定を考えていなくて、観る側がいわゆる「後付け」で架空の設定をこじつけているのですが、その辻褄の合い方が見事で楽しめることが多いんです。
中にはその「こじつけ」の見事さから、世の中に出回る「陰謀論」を鵜呑みにしてしまう人もいるくらいです。
「拡大解釈」「こじつけ」は現実社会では害悪にしかなりませんが、創作の世界では大きな武器になりそうです。
「楽しい嘘」と「こじつけマスター」を目指せ
小説や映画などに対して「現実にはあり得ない」という評価をして「楽しめない人」が一定数います。
少なくとも創作者にとって、彼らは「楽しませるべき相手」ではないので無視して構いません。
創作の基本は「楽しい嘘」であり「楽しい嘘を楽しめる人のためもの」でいいのではないでしょうか。
楽しい嘘である物語のキモが「伏線回収」だとすれば、都市伝説の「こじつけ」を参考に、自分で考えた物語に隠されている「裏設定」を推理するところから作業を進めるといいのではないでしょうか。
「こじつけマスター」になれば、物語創作の世界ではMVPになれるかもしれません。
参考になれば幸いです。
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