恐竜の絵画展で学んだ「メリハリ」の技術・細密さの度合いを変えて視聴者の印象に残る映像作品を作る方法
化石以外で感じる恐竜の魅力
先日、東京・上野で開催されていた「恐竜図鑑」という展示会を見てきました。
上野には春には定番の恐竜化石がメインの恐竜展に行っています。
50代半ばになっても、小学生の時に熱中した「恐竜の魅力」は薄れないんですねえ。
恐竜展と言えば、何と言っても主役は化石です。
その異形の彫刻のような存在感に圧倒されるわけですが、そこからすると、恐竜図鑑に載っているような「絵画」の展覧会は珍しいと言えます。
正直言って、普通であれば、わざわざ恐竜の絵を見に行く動機は弱いはずです。
ただ、今回の展示会に集められたのは「普通」の絵ではないんです。
私たちが子供のころから恐竜図鑑で見慣れている、「あの絵」の「本物」が勢ぞろいしているというのですから、これは滅多に体験できることではありません。
恐竜時代の想像図絵画などは「パレオアート(古生物美術)」ということを今回はじめて知りましたが、世界各国から集められたおよそ150点の絵画から感じたのは「本物感」でした。
有名なブリアンやナイトといった恐竜絵画の第一人者の絵は、単なる恐竜の復元図ではありません。
生きた恐竜の躍動感が感じられます。
今でも年々、恐竜の復元図は変化していて、映画「ジュラシックパーク」で描かれているティラノサウルスですら、ちょっと古い復元だそうですから、恐竜の研究が始まった当初の復元図はもちろん大分、今とはイメージが違います。
19世紀の奇妙な復元図などに対して滑稽な印象を持ってしまうのは仕方ありません。
でも、それをバカにする価値観は持ちたくないと感じます。
圧倒的に少ない情報量だったり、当時の宗教観からくる表現上の制約の中で、「恐竜」という異形の怪物のイメージはしっかりと伝わってきますし、当時、この絵を見た人々のワクワク感を想像すると羨ましくさえ思えます。
どれも異なる雰囲気で魅力的だったんですが、特に印象に残った作品数枚に共通する特徴に気付きました。
それは「メリハリ」です。
細密さの度合いを変えて印象を際立たせる
最初に気付いたのは、竜脚類という種類の恐竜がメインに描かれた絵を見たときです。
その絵、自体も有名ですし、恐竜図鑑の挿絵として無数に模写された絵です。
この恐竜の特徴は、象のような体に、長い首、長い尻尾、首の先の小さな頭です。
絵画はじっくりと顔を近づけて観察できたので良く分かりましたが、この「小さな頭」の部分の描き込みが他の部分と比べて異常に細かいんです。
油絵なので筆で描いている筈ですが、顔だけはペンを使って描き込んでいるのではないか?というほどの細かさでした。
私は子供のころ8年間ほど絵画教室に通っていました。
と言っても絵を習っていたという感覚は無くて、同じアトリエで油絵を描いている高校生のお兄さん、お姉さんの絵を「上手だなあ」と感心しつつ、もっぱら恐竜の絵ばかり描いていた気がします。
そこで何となく身に付けた感覚というのは、「絵は離れて見たときの印象が大事」という事でした。
小学校の図工の時間に描く絵でも、途中で2~3メートル離れたところから自分の絵を眺めると、どこを描き込めば良くなるかが何となく分かったんです。
するとどういう絵になるかというと、
- 離れてみるとリアルに見える
- 近くから見ると細かいところは雑
という状態です。
私自身、これは「上手い絵」の一つのパターンだと思っていましたし、実際に見映えがしたので、絵画教室から出品する展覧会では毎年、何らかの賞を貰っていました。
そんな、感覚とは全く深みの違う魅力が、顔だけ細密に描き込んだ恐竜の絵から感じたんです。
そこで生まれるのは「メリハリ」です。
多分、もっと凄い労力を使って、全身を細密に描き込んでも、この魅力は出ないんです。
顔の部分や指先といった、「細密にすると映える部分」だけ描き込んでいることが、ポイントなんだと思いました。
これは、直感的に映画作りでも応用できると感じました。
映像作品の中でメリハリをつける方法
私は普段から創作物を製作するときには、コスト削減を意識しています。
限られた条件の中で「表現したい事」を形にするためには、コストを掛けずに削れるところは削る、言い方を変えれば、手を抜けるところは抜く、という考えです。
こういう考えは、「100%のエネルギーを作品全体に満遍なく注ぐべきだ」という作家の人や批判家の人にはとても不評ですが、現実問題として、「100%のエネルギーを作品全体に満遍なく注ぐ」ということは、トム・クルーズでもない限り無理ではないでしょうか?
少なくとも私たちアマチュア映像作家が求めることは、第一に
- 自分がやりたい「場面」を形にすること
です。
逆に言うと、商売ではないのに、やりたい場面を形に出来ないのであれば、作る意味が無いんです。
次に求めることは、
- 観客が少しでも楽しめること
です。
これは、はっきり言って難しいです。
「インディ・ジョーンズ」を見て「つまらなかった」という人を楽しませようとするわけですから、ハードルは高いことは覚悟するべきです。
少しハードルを下げて、「時間を無駄にしたと思わせない程度の印象を与える」というくらいが現実的でしょう。
その時に、この「メリハリ」が有効だと思います。
具体的には、場面によってエネルギーの注ぎ方(時間の掛け方)に大きく差を付けることです。
私の感覚ですが、「場面」には、
- やりたかった場面
- ストーリーを成り立たせるために必要な場面
の2種類があります。
乱暴に言えば、「ストーリーをを成り立たせるために必要な場面」は必要悪です。
この部分を、作品の品質を著しく落としていると感じさせない程度に、できるだけ効率的に作って、その分のエネルギーは「やりたかった場面」に注ぐことで、場面にメリハリが生まれ、そのエネルギーが観客の「印象」に残るのではないでしょうか。
もし、全ての場面に同じように全力でエネルギーを注いでしまうと、「全体的によく出来てはいるけど印象には残らない」という弱い作品になってしまうと思います。
参考になれば幸いです。
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