映画の流行:ストーリーを複雑な構造にしないといけないという勘違い
その作品の魅力はどこにあるのかを探れ
「面白い!」と思った映画の中には
- 参考にすべき(真似すべき)映画
- 参考にしてはいけない映画
の2種類があると思っています。
「参考にしてはいけない映画」というのは、例えば演出力に秀でた、つまり天才タイプの監督が作った映画です。
中には「こういう撮り方は失敗映像に見えるから避けた方が良い」とされる撮り方を、おそらくわざと選択して「その法則はセンスがない人のものですよ。センスがあれば関係ないでしょ?」ということを見せつけているきらいがあります。
あなたが天才でない限りは、「なるほど、法則は無視しても良いんだ」と思って真似しないのが無難です。
もう一つの「参考にしてはいけない映画」は、構造的に「面白い理由」が解析できない作品です。
私も大好きな作品の中に、何度も見直して楽しんではいるものの、構造的にそれほど優れている気がしないものがあります。
「役者の魅力」「音楽」「映像」の魅力が飛びぬけているせいかな?とも思いますが、仮にそうだとすると、再現性は極めて低くなります。
鑑賞者として楽しむのに留めておいて「この映画を参考に同じ魅力を持つ作品を作ろう」と思わないことです。
創作者として注目すべきなのは、面白さが構造からきている作品です。
物語の構造は再現性があるからです。
もし、その構造自体が物語を面白く感じさせているとすれば、映画で言えば予算には関係なく、一定レベルの面白さを表現できると思っています。
まあ、結論からいうと、構造的に面白い作品はベタな映画です。
極論すればベタ映画企画が最強だと思います。
創作者は2つのタイプに分けられるといいます。
1つは「ベタ」を理解・応用して、多くの観客を楽しませるタイプ。
もう1つは、既成概念を根底から覆すような、全く新しい作品を模索する「超改革者」タイプ。
「創作者たるもの、超改革者を目指すべきだ。観客を喜ばせるようなベタな作品を作るのは、金で魂を売るような愚行だ」と一生懸命に主張する、クリエイター原理主義とも言えるような人たちがいて、彼らはとかく、商業的に成功した作品を貶しにかかりますが、一言で言ってそれは「妬み」です。
私は超改革者は全体の1%くらいは必要だとは思いますが、商業的成功を貶すメリットは0%だと思っています。
「ゴジラ -1.0」に見るベタの強力な魅力
2023年、私が大満足だったのは、山崎貴監督の「ゴジラ -1.0」です。
山崎貴というと、「金で魂を売るべきでない」という映画原理主義の人たちは、無条件で批判して良いと勘違いしているようで、その批判は呆れを超えて滑稽ですらあります。
私は「三丁目の夕日」のベタ構成に心酔している山崎監督ファンなので、「ゴジラ -1.0」は大変楽しめました。
そこで改めて気付いた事の一つが「ベタで良い」ということです。
ネタばれにならないくらい大雑把に言うと、
- 主人公は冒頭で大きな負い目を抱えた
- 負い目を抱えながら生きながらも平穏を手に入れようとしていた
- 災厄が訪れ、平穏が失われる
- 平穏を取り戻す戦いの選択によって負い目からも解放される
という、とてもシンプルな、ありがちでベタなあらすじです。
私は昨今の映画を見ていて、正直に白状すると、「まあまあ面白かった」とは感じても、実はストーリーを理解できていないことが多いんです。
それは元々、頭が良くないということもあるでしょうし、加齢によってさらに理解力が落ちているのもあるでしょう。
しかし、気になっていたのは、近年の映画や小説のストーリーが過度に複雑で入り組んでいることです。
何が本筋か分からないというか、同じくらいの太さの幹が3本くらいあって、それぞれから枝がたくさん出ている、しかも枝も結構太い、というような、バランスの悪い構成になっているのではないかな?と感じています。
そのためだと思うのですが、見終わったばかりの映画のあらすじを上手く思い出せなかったりするんです。
変化を多くして観客を飽きさせないような工夫の結果で、今の流行りだとは思うんですが、残念ながらそれを楽しめない自分がいて、「クリントイーストウッド作品のようにシンプルなのに、退屈せず楽しめる映画は現代では作れないのかなあ」と残念に思っていたところで、この「ゴジラ -1.0」が大ヒットしてくれたおかげで、「シンプルな構造でもちゃんと楽しめる映画が存在できるんだ」と嬉しくなりました。
ちなみに、山崎貴監督と言うと、VFXと呼ばれる映像がもちろん素晴らしく、評価も高いんですが、私はいつも「山崎映画の最大の魅力は山崎脚本ではないかな」と感じています。
そのあたりの創作に関する本を書いて欲しいなと思います。
自主映画でもシンプルなストーリーが通用するのかという問題
映画についていろいろと話していると、ついつい人は批評家になってしまい、批評家になると偉そうになりがちです。
私は「創作者としても映画を楽しみましょう」というスタンスなので、自分の考察をインディーズ映画・DIY映画に活かせないかを考えます。
結論は出ていないのですが、インディーズ映画特有のデメリットは意識すべきと思います。
デメリットの1つは、「役者、映像共、秀でた魅力は期待できない」ということです。
実力があって売れている役者には華がありますし、全ての分野のスタッフには技があるので、さらにその魅力を増幅させられます。
私たちはインディーズ映画を作る際、その素材の魅力は「0」という前提で企画した方が良いと思います。
もちろん、どんな役者にも本質的な魅力はありますが、それに頼らない方針という意味です。
そうなると、使える武器はストーリー構造から出る面白さで、ベタ展開は強力と言えます。
例えば「ロッキー」を完全にパクって、貧相な絵面になっても良いから似た設定で映画を作ったとします。
パロディーですから、当然、笑える部分も多いでしょう。
でも、見終わったときに感じるのは「なかなか面白かった」という感想ではないでしょうか?
これがベタの力です。
逆に複雑なストーリー、例えば「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」をそっくりパロディで作っても、「良く分からなかった」という感想がかなり出るのではないでしょうか?
複雑なストーリーを苦労して成り立たせて、大変な撮影・編集をこなしたにも関わらずです。
複雑なストーリーのメリットは
- 観客の好奇心を刺激し、飽きさせない
- 複数の視点や時間軸を用いることで、より豊かな世界観を構築できる
- 予測不可能な展開が、サスペンスや驚きを生む
といったことだと思います。
ですが、狙い通りの感覚を持たせるためには「技術」がないとダメなんです。
「複数の視点や時間軸」をうまく描けば、確かに「豊かな世界観を構築」出来ますし、「予測不可能な展開」は「サスペンスや驚き」を生むはずですが、技術が無いと、そもそも「複数の視点や時間軸」「予測不可能な展開」を描いているのか、何か基本的なところで表現を失敗しているのか、観客には区別が付かないんです。
それが見る側のストレスになり、ごく一部の好意的に深読みしてくれる観客以外には「良く分からなかった」と思われる作品になることが予想できます。
大衆の支持を必ずしも得る義務がないインディーズ映画ですから、基本はもちろん自由でいいんです。
でも、勘違いしてはいけないのは、あなたの「自己満足」というのは純粋な自己満足では無いかもしれないということ。
一緒に作った仲間や観客が楽しんでいるのを見て得られる「自己満足」「幸福感」は純粋な自己満足よりはるかに大きいんです。
そう考えると、創作活動を続けるためのモチベーションを維持するためには、「ベタの力」が生きる「シンプルなストーリー」をベースに、飽きさせない工夫を盛り込むことが最善の手ではないかと思うのです。
参考になれば幸いです。
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