そもそも映画に王道は似合わない?・邪道映画術でいい理由
映画原理主義 vs 邪道映画主義
私はそれほど高尚な映画ファンではなくて、世に言う「名作映画」を映画館で全部観たと言うようなタイプではありません。
子供の頃、テレビで洋画劇場の番組がいっぱいありましたから、機会があれば名作も観ていますが、B級映画も同列に楽しんでいたわけです。
映画ファンの中には「名作映画」を絶対視するような人たちがいて、私はちょっと揶揄を込めて「映画原理主義」と呼んだりしてます。
要は贅沢な撮り方をして「映画とはこうあるべきだ」と言うような一定の「型」を持っていて、大抵の場合はとてもお金と手間が掛かっている映画が多いです。
芸術的なレベルが非常に高くて、必ずしも商業的に優れていなかったとしても、素人目にも「これは歴史に残るような映画なんだろうな」ということは分かります。
そういう映画こそが映画であって、「観客が楽しめればいいじゃないか」というような作品を見下す人たちが一定数いるんです。
それに対して、私はあえて皮肉を込めて「邪道映画」というのを提唱して、「映画は邪道でいいじゃないか」「楽しければいいじゃないか」と言っているわけです。
映画原理主義の人は「撮影はこうあるべきだ」あるいは「演技はこうあるべきだ」という「型」にこだわり過ぎじゃないかな、という印象を私は持っています。
「型」というのは大事なんですけれども、それにこだわり過ぎると、ちょっと滑稽なことになります。
型にこだわる滑稽さはブルース・リーに学んだ
私は高校生の頃にブルース・リーに非常にハマりました。
ブルース・リーというのはご存じの通りアクション俳優です。
ただ、アクション俳優と言っても本物の武道家なんです。
武道家がアクション俳優として仕事をしているという、珍しいタイプのアクション俳優だったんですね。
ですから、本質的には自分の武道の追求・研究にエネルギーを注いでいるわけで、その人が古典的な中国拳法とか日本の空手というものに対して、「型にこだわり過ぎている」と言う批判をたびたびしていたんですね。
もちろん、型は重要で、ブルース・リーも自分が学んできた中で型が有効だった面は自覚していると思うんですけれども、敢えてポジショントークなんでしょうが、「型にこだわり過ぎると滑稽なことになるよ」と発信しつつ、自分が独自で作った「ジークンドー」という武道では「型にこだわるな」というような、柔軟性を提唱しました。
「型」の練習というのは、例えば1本足で立ってふらつかないような稽古をするとかいうものです。
実際の戦いの中では、1本足で長い時間立っていられるからと言って喧嘩に勝てません。
元々は実戦に必要な、例えば体幹を鍛えるためにこの型を考えて稽古しているのに、その型を美しく表現するということに注力してしまうと、本末転倒・滑稽なことになります。
「古典的な武道はそういう間違いが多い」ということを、ブルース・リーは伝えていたんです。
これは武道に限ったことではなくて、いろいろなジャンルで同じことが言えるんじゃないかなと思います。
手段と目的を割り切る手塚治虫
「漫画の神様」と言われる手塚治虫という人がいます。
手塚治虫は非常に絵が上手で、無尽蔵に湧いてくるかのような豊富なアイデアを持ち、ものすごい数の漫画を描いています。
彼は自分でアニメーション映画を作りたいという目標があったため、その資金を稼ぐために膨大な数の漫画を描いていました。
登場するキャラクターの顔を描く時間を節約するために、コピー機でコピーをして、ハサミで切り抜いて、漫画の原稿に貼ることもありました。
そのため、手塚治虫の描く漫画の原稿は非常に汚いと言われていました。
本来は一つ一つ絵を丁寧に描いて作るべきとされていた漫画の原稿が、コピーの切り貼りを多用したような、言ってみれば邪道な方法で仕上げられていたんです。
これは手塚治虫がそれをやりたかったわけではないはずですが、目的と手段を切り分けて割り切ってしまえば、それも選択肢として挙がってくるわけです。
このエピソードを聞いて、私は「ブルース・リーの型と実践」に対比するような感じで、興味深く受け止めました。
演技最優先だとすると映画は不向き
そもそも映画というのは、いろんな技術が組み合わさってできているものです。
そのため、どの分野に絞ってみても、少し邪道になるのが当たり前です。
例えば映画の中には俳優の演技があります。
演技によって物語のメインとなる人間ドラマを表現するわけで、非常に重要です。
ところが、演技を最優先しようとした場合、映画というメディアは不向きです。
なぜなら、演技というのは、例えば二人の芝居があったとして、その二人が感情を持ちながらやりとりをするわけです。
演技の技術を総動員して表現することで、間合いや駆け引きを通じて観客に伝えるのですが、映画の特徴はぶつ切りで撮影することです。撮影はバラバラに行われます。
本来は続いている感情の場面でも、撮影はぶつ切りで行われ、何時間もかけて1分間のシーンを撮影します。
その時点で、演技という面では繋がって見せるのが精一杯です。
その感情のまま5時間も6時間もキープできるのかというと、難しいでしょう。
流れを止めて撮影するため、舞台演劇とは異なり、表面的な演技になりがちです。
役者からすると、「これは本当の演技なのか?」と疑問を持つこともあるはずです。
映画の特徴は画面の限定性と再構築
映画の特徴は、画面の限定性とバラバラに撮った映像を再構築することです。
画面の限定性とは、画面を見るとそのシーンに見えるけれども、実際の現場ではカメラから見えないところにはセットがなかったり、カメラの後ろにはスタッフがたくさんいて、その様子を見守っているということです。
本来の場所ではない場所を、それらしく見えるように撮影するのが画面の限定性です。
再構築とは、バラバラに撮った映像を再構成して一つのシーンとして作ることです。
時系列的に演技が進む舞台演劇とは根本的に異なります。
映画というのは、実際がどうかではなく、どう見えるかで判断します。
「こう見せたい」という目的があるため、そう見えるように作り込むのです。
実際はどうでもよく、寒いシーンでも撮影現場が暑いこともあります。
危険なシーンも「危険に見えるかどうか」で判断し、実際には安全に撮るべきです。
これも映画の特徴です。
結局のところ、映画というのは完成物を想定して、画面の中でどう見えるかということで作られます。
完成物から逆算すると、邪道映画術というのは非常に効果的です。
邪道映画術の技の例
【セリフ憶えが悪いことへの対処】
例えば、私たちが作るような低予算映画の場合、セリフ覚えが悪いことへの対処がよくあります。
これは役者のレベルが低いことや、スケジュール的に事前にセリフの読み合わせや通し稽古ができず、ほぼぶっつけ本番のような状態で撮影することが原因です。
そういった場合、セリフを身体に染み込ませて演技することが難しく、結果的にセリフ覚えが悪い役者のように見えてしまいます。
その対処法として、カメラのカット割りを多くして、一続きのセリフをなるべく短くする方法があります。
例えば、3行のセリフをずっと顔を映しながら撮るのではなく、途中で聞いている相手の顔にカメラを切り替えることにすれば、1行分ずつ演技をすればよいことになります。
顔が写っていない部分については、台本を読みながら感情を込めてセリフだけ録音することもできます。
これは演技の専門家からすると邪道かもしれませんが、完成品を作るためには非常に有効です。
【感情表現が出来ないことへの対処】
また、感情表現ができない場合もカット割りで対処します。
例えば、「怒りを覚えた」という感情を表現するために、「拳を握りしめる手のアップ」を撮るなど、視覚的に分かるものを使って感情を表現します。
これは普通の映画でもよく使われる方法です。
【構図設計の失敗に対する対処】
さらに、構図や設計の失敗に対処する方法もあります。
映画はバラバラに撮影されるため、編集段階で再構成する際に映像が繋がらないことがあります。
繋がらないというのは、カットが変わったらグラスの中の飲み物の量が大きく変わっていたとか、袖のまくり方が変わっていた、というようなことです。
撮影時に注意はしますが、効率を優先して順番をバラバラに撮影する限り、大抵どこかにこの手の失敗は起きます。
これに対処するために、予め間違いを隠すための映像を撮影しておくことが有効です。
例えば、10カットで構成されるシーンをバラバラに撮る際、念のために俳優の顔のアップを1連の芝居として撮影しておくことで、編集時に繋がりを補完できます。
「繋がらない」という映像の間に「顔のアップ」を挟むと、多くの場合、不自然さを隠すことが出来るからです。
突き詰めれば映画創作は問題解決のゲーム
映画という創作は、その過程で生じるさまざまな問題を、知恵と工夫で解決していく部分そのものが魅力です。
実際はともかく、どう見えるかで判断して、「観客を騙してやろう」という動機で、邪道映画術を駆使して作品を作ることも楽しい創作活動の一つです。
もちろん、王道の映画術を学びたい人は映画学校で勉強し、プロの現場で実践を積むべきですが、趣味として映画を楽しむ人は邪道映画術を活用して楽しんでいただければと思います。
参考になれば幸いです。
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