地域の祭りから学ぶ持続可能な創作活動のヒント
単純な創作活動が持続しない理由
映画をはじめとする創作活動は、本格的に継続しようとするとなかなか難しい面があります。
活動継続が困難になる理由は、突き詰めて言えば、
- 活動に伴うコスト
- 活動から得られる満足
のバランスが崩れて、分かりやすく言うと「割に合わない行為」になってしまうことです。
商業映画を見れば一目瞭然で、「予算が集められなくて満足のいくものが作れない」という言い方をしますが、それはお金を出してくれない方が悪いのではなくて、「お金を回収できる作品を作れないから、投資として危険すぎてお金を出せない」というのが実情です。
それに対して「芸術をお金で計るな!」というのであれば、人がお金を出してくれない事に文句を言わず、自分自身の情熱だけで創作を続ければいいだけなんです。
趣味の創作活動はお金のためにやってるわけではありません。
でも、「お金」を単に「価値を測る道具」として考えれば、同じような問題があることは明らかです。
現代のように動画コンテンツが溢れかえっている時代では、映画のような作品を公開してもほとんど見てもらえません。
日本人は「製造」は好きでも「販売・宣伝」は嫌いな人がほとんどですから、「良い作品を作る」というところにエネルギーを注ごうとしますが、「作品をいかに多く見てもらえるか」という活動量が圧倒的に少ないと感じます。
それでは見てもらえるわけはないんですよね。
誰にも見てもらえない状態で創作を続けるのは、不可能ではありませんが、かなり厳しいです。
ある程度の承認欲求が満たされないと、自己満足も大きくはならないんですね。
承認欲求の功罪を認識する
とかく「承認欲求」はネガティブに語られます。
特にSNS依存と承認欲求の追求は、悲劇的な状況を生んだりするので、承認欲求そのものが悪であるかのように言われがちですが、やはりこの欲求には絶大な力があるので、うまく自分の中で利用して、行動のモチベーションに変換させたいところです。
特に無視してはいけないのは、「価値は人を幸せにする量に比例する」という法則です。
創作活動で、作家が感性のままに作品を作っても、見る人全員が不快になる作品だったら「価値は無い」という評価になって当然です。
(実際にはそれほど尖った作品の場合はファンが生まれるので、「何の印象にも残らない」よりはマシだったりしますが)
映画のような創作活動の場合は、少なくとも「その作品を見る時間を無駄にした」と思わせないことが最低ラインです。
少しでも楽しませたり感心させたりできれば、その分、客観的な価値があると言って良いと思います。
そしてそういう作品には多少なりとも、Xで言うところの「いいねボタン」を押させる力があるのは事実なんです。
ですから、承認欲求に支配されないように注意はしつつも、「他人をより楽しませる」ために承認欲求は上手く使うべきだと思います。
「装置としての映画」という発想
趣味にしろビジネスに応用するにしろ、映画という創作を単なる「芸術作品」として捉えている限り、得られる評価には限界があると思います。
「日本は文化・芸術に金を出さないからダメなんだ!」と嘆いていても始まりません。
むしろ、国全体が貧しくなっている今、そんなところに税金を使われても困ります。
私は「映画」という存在を、「鑑賞する対象作品」としてだけでなく、もっと大きな「場を作る装置」として考えてはどうかと思います。
ちょうど似た話に「地域の祭り」があります。
私は動画制作の仕事で、神輿(みこし)の製作現場によく通っていたことがあって、そこの社長から面白い話を色々と伺う機会がありました。
そもそも神輿というのは値段が1000万円近くする上、10年に一回くらいのペースで、200万円くらいかけて分解メンテナンスをする必要があるものです。
素人考えからすると、江戸時代から使っている漆などの素材でなく、劣化しにくい合成樹脂などを使って、大掛かりなメンテナンスが不要な神輿を作った方が安上がりで良さそうに思えますが、実はこの「定期的なメンテナンスの必要性」が重要だというんです。
当然、大金を使って作った神輿ですから、その活用のために祭りも企画されます。
地域の合同の祭りになれば、それぞれの住人たちは自分の町の神輿を見ることで誇らしい気持ちになります。
代々受け継いできた地域の歴史や先人の存在を感じる機会にもなるんです。
また、メンテナンスにも大金が掛かりますから、地域では毎年少しずつ積み立てる必要があります。
その計画を立てたりするために、地域住民の交流と協力は不可欠になりますから、結果として「その町の衰退を防ぎつつ、神輿関連の仕事も途切れない」という状況になる、というんです。
「お金が掛かるから神輿はやめよう」となった地域は、祭りもどんどん縮小して、自治体そのものが寂しく消滅していくそうです。
「映画」を「神輿」と考えたらどうでしょうか。
意識して「作品づくり」から「創作活動を続けられる環境づくり」に目的を変えてみるという事です。
成果物を「神輿」に相当する「映画」と考えるのではなく、「祭り」に相当する「上映イベント」や、「住人同士の日々の交流」に相当する「創作活動」の方をメインに考えることで、全く違う行動計画が考えられると思いませんか?
流行りの言葉で言えば「持続可能な」創作活動になると、私は思います。
実際のコミュニティづくり・イベントの案
創作活動の最大の強みは「創作物が出来上がる」ということですから、それを使ったイベントを企画するのが最も現実的でしょう。
映画創作であれば撮影会や上映会です。
知り合いの飲食店を借りたり、DVDが上映できるカラオケスタジオなどで、交流会を兼ねた上映会を繰り返すことはオススメです。
特に、製作者や監督以外の関係者には、映画製作に関わったことによる「楽しみ」をこれでもかと与える必要があると思ってください。
むしろ「そのイベントが楽しみで映画作りに協力してくれる」という方が望ましいくらいです。
特に私が考えているのは、制作過程のイベントです。
映画製作には時間が掛かるので、完成品の上映会だけではイベントが少なすぎるんです。
撮影会の度に、手が空いているスタッフに「メイキング映像」を撮影してもらう、ということもイベント化してはどうでしょうか?
撮影中は監督には全く余裕がありませんから、準備中に出演者へのインタビューをしてもらったりすれば、出演者を退屈させずに済みますし、記録としてもとても貴重なものになります。
その「メイキングシリーズ」を別企画として立ち上げることで、作品の完成前に定期的に上映イベントが開催できます。
こういう「コミュニティづくり」や「イベント」は、実は多くの創作者は苦手だと思います。
黙々と作業することが好きで創作をしている人がほとんどだからです。
そして、創作活動は
- 個人で作業した方が作家性が出て面白い
- 民主的な共同作業に向かない
という側面も確かにあると思います。
でも、昔ながらのやり方では、理想的で持続可能な活動が難しいと感じている私は、特に最近、こういう新しい取り組みを試してみたいと強く感じているんです。
ご自身の創作活動にも応用できると思われた方は、参考にしていただけると幸いです。
参考になれば幸いです。
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