プロデューサー視点が持つ創作の可能性・分業体制での「小説」の魅力
製作者と監督は役割が違う
私は若い頃、短期間ですが、映像製作会社に勤めたことがあります。
映像製作会社といっても色々と種類があって、私は仕事としての映像製作ではエンタメ性ではなく論理性を求めたかったので、「企業PV」と呼ばれる、ややお堅い映像を主に作っている会社を選びました。
銀行のロビーで流れている金融商品の説明ビデオとか、博物館のなかで視聴するための短い解説動画などの仕事が多かった印象です。
入社して早々に「君はディレクター志望?プロデューサー志望?」と良く聞かれて、迷わず「ディレクター志望です」と答えていました。
若い社員の中で「プロデューサー志望」という人は少なくて、正直、私は「断然、ディレクターの方が面白い」「実作業に直接関わらないプロデューサーは何が面白いんだろう?」と思っていました。
プロデューサー(製作者)とディレクター(監督)の役割を簡単に説明します。
プロジェクトの大枠を考えて、決められた仕様、期間で作品を完成させるまで管理するのがプロデューサー。
決まった制約の中で細かな演出面を担当して作品を仕上げていくのがディレクター。
役割が全然違っていて、創作の現場では対立する状況にもなりがちです。
そしてやはり人気があるのは、映像に対するこだわりを追求しがちなディレクターで、プロデューサーはスケジュールやお金を理由にそのこだわりを阻害しようとする敵役のような感覚で語られる風潮が、特に日本では強いと思うんです。
言うまでもなく、プロデューサーは敵役ではありません。
プロデューサーがしっかりしていてこそ、作品が企画され完成し、その流通まで実現するのですから、やはり最重要の役割と言えます。
私も最近では「一番面白いのはプロデューサーかもしれない」と感じています。
もちろん、末端の演出作業などは楽しいのですが、たくさんの作品を企画して完成させたいと思ったら、自分がプロデューサーに徹して、ディレクターは他の人に任せるという流れも確立したいなと感じています。
アマチュア創作で重視すべきは製作者視点
私たちの創作は大抵の場合、ビジネスではありません。
ですから何をやっても、何をやらなくても自由ではあるんですが、この「自由」というのがクセモノで、もともと相当の管理能力を持っている人でない限り、うまく行かない事が多いんです。
例えばキャンプに行ったり、ピクニックに行ったりという企画であれば、計画がかなりグダグダで、当初の想定通りにならなかったとしても、事故さえなければそれなりに楽しい体験ができます。
でも、「創作」の最大の魅力は「体験」の先の「作品の完成」にあります。
計画がしっかりしていないと、そもそも完成品が出来上がらない事態になってしまうんです。
そして、アマチュア創作者はとかく工夫の余地があって楽しい「ディレクター」的な体験を求めたがります。
それは楽しいことなので無理も無いんですが、実際はその前に「プロデューサー」的な計画立てが不可欠なんです。
私のように「ディレクター」的体験を優先して、完成させられなかったという致命的な失敗を繰り返すと、「プロデューサーは大事だなあ」と痛感します。
ただ、プロデューサーとディレクター、必ずしも別人が担当する必要があるとも限りません。
自分の中で視点を切り替えられるのであれば、同一人物でも良いわけです。
例えばDIY映画の多くは、プロデューサーとディレクターは同一人物なのではないでしょうか。
私はそうです。
「この場面にこだわりたいけど、時間が足りなくなるから変更しよう」というように、2つの立場で作業をすることになります。
その割り切りができなかったり、プロデューサーとディレクター、どちらかの資質が自分にない場合は、別人と分担する方がいいかもしれません。
そして、特にアマチュア創作者は、多くの場合「プロデューサー視点」が弱いと感じます。
ディレクター的なこだわりは、意識しなくても発動してしまうのが創作者ですから、強く意識すべきは「プロデューサー視点」と言えると思います。
映画以外にもプロデューサー分業は応用できるか
創作の中でも「映画」は元々、大勢のスタッフが関わる性質上、分業の概念と馴染みがあるものです。
私は最近、「別の創作でもプロデューサー分業が有効ではないか」と考えるようになっています。
例えば小説。
一人で1から10まで作業を行う必要があるイメージの強い小説ですが、考えてみると作業工程ははっきりと分けて考えることが出来るくらい種類が違います。
「コンセプト設計」、「あらすじ」、「脚本」そして仕上げとしての「文章表現」。
これを別作業として手分けするとメリットが大きいのではないでしょうか?
もちろん賛否あるとは思います。
「個人的な作家性が出るのが小説だ。共同作業にしてどうするんだ!」
と反感を持つ人もいるでしょう。
でも、人には得意不得意があります。
キャラクター設定は魅力的なのにストーリーが破綻してしまうとか、その逆とか。
プロの小説家は全てをバランスよくこなせるのでしょうが、アマチュア創作者として小説を書く人が、必ずしも「立派な小説家になりたい」と思うとは限らないんです。
「面白い小説が生み出せればいい」という人も多いと思います。
読む方も、求めているのは「面白い小説」であって、作家が単独で書いていようが、工程によって分業していようが構わない、という人もいると思うんです。
もちろん一人で完成させれば、ものすごい満足感を得られますが、ハードルは高いと言わざるを得ません。
そして、一人で完成させるには膨大な時間が掛かります。
共同作業は時間短縮と作品の量産にも有効と考えられます。
「コンセプト設計」、「あらすじ」、「脚本」、「文章表現」。
それぞれに違った創作の楽しさがあります。
そして人には得意不得意があります。
「立派な作家になる」という目的が無いのであれば、「不得意を克服しなければいけない」という思い込みからの脱却ができます。
「あらすじ」や「脚本」は、センスの有無に関わらず、ある程度は機械的に作るメソッドがあります。
「文章を書きたいけど題材が思いつかない」という人もたくさんいます。
AIで叩き案としての文章を生成することも、とても有効でしょう。
それぞれの分野が得意な人が作業分担して、一つの小説を完成させ、1ページ使って映画のように「スタッフ表」も表記するという小説制作のスタイルは、もしかしたら「絶対的作家性」を主張しない、アマチュア創作者ならではの創作法として可能性があるのではないでしょうか。
映画を観て、
・あの作品の脚本がいいね
・演出がいいね
・カメラがいいね
・あのスタッフが組んだら面白そうだね
と感じるのと同じように、小説も「関わったスタッフ」の組み合わせを見て楽しめるようになるかもしれません。
そしてそこに不可欠なのが、人選を含め、全体を統括する「プロデューサー(製作者)」であることは明らかです。
これは、創作者にとっても、昔ながらの同人誌が、「完成品を持ち寄る楽しみ方」であったのとは全く違う、分担作業集団としての楽しみ方にもなりそうです。
私は、自分自身で小説を書きたいという願望もありますが、この「小説の分業」を思いついてからは、プロデューサーとして作品を企画したいと考えています。
これも、私が主宰する「DIY映画倶楽部」の活動の一環にしてみようと思っているところです。
参考になれば幸いです。
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