429_回想シーンの難しさ


回想シーン、過去を思い浮かべている場面です。

映画は演劇と共通する部分が多いと言われますが、大きく異なることは、一瞬で違う場面に切り替えられることです。

舞台劇の場面転換は、照明を落としたり幕を利用して背景が見えなく状態にすることで「別の場面」を表現することもありますが、大抵はスタッフが大急ぎでセットを入れ替えたりすることで、違う場面を表現します。

映画と演劇は楽しみ方が全く違うものなのでどちらがいいというわけではありません。

事実として映画は映像を編集するだけで場面が変えられる特徴があって、それをフルに生かすことで、映画ならではの構成の作品になる可能性が出てきます。

 

場面転換は普通、「ここでこういう出来事がありました。それからこういう場面でこうなりました」というような時系列順に次の場面に繋げたり、「そのころ別の場所ではこういうことがありました」という、違う空間での出来事を表現しますが、回想シーンというのはちょっと不自然な見せ方で、「実は過去にこういう場面がありました」というように、出来事の時間の順番を入れ替えたものです。

 

同じ内容を伝えるための構成は色々なパターンが考えられるんですが、面白いことに、アマチュアが書いた脚本にはほぼ100%回想シーンが入るそうなんです。

私も自分が書いた脚本を見返すと、100%回想シーンが入ってました。

 

これはどうしてなのかと考えると、物語を深く表現する技術がない作家は書いていても間が持たないんです。

行き詰まってきたらすぐに場面を変えたくなっちゃうんです。

それに加えて、物語に説得力を持たせたくて「伏線」を利用したいと思うんだけれども、それを事前に丹念に描く技量がないので、「実はこの人物はこういう経験をしているんだ」ということを手っ取り早く説明したくて、そこに回想シーンを入れる。

そうすると一見「さま」になって見えるんです。

これが、私たちアマチュアが、ついつい回想シーンを多用してしまう理由の一つだと思います。

 

回想シーンには2つあって、その作品の中で一度見せた場面を思い出してもらうためにもう一度見せる回想シーンと、登場人物にとっては回想だけれども、観客にとっては初めて見る回想シーンです。

 

初めの回想シーンの使い方はとても効果的です。

特に長編作品であれば、「そういえばこんな場面があったなあ」と、観客が文字通り回想するわけで、クライマックスで使われたりすると、擬似的な「歴史」を感じてしまって、妙な感動が出てくることがあります。

例えば連続長編ドラマなどは、登場人物の成長が描かれるので、大河ドラマなどの場合は主人公の子供時代も長時間を掛けて描いています。回を追って配役も変わり、子供時代のシーンもすっかり忘れたクライマックスで、子供時代の回想シーンが出てきたりすると、実際にはそれ程に観たわけではないのに、物語世界に入り込んでますから「ああ懐かしい!」という感情も生まれるんです。

 

さらに、映画「永遠の0」などを見ると、山崎貴監督による脚本は秀逸で、観客は1度見たシーンを回想としてみるんだけれども、「本当はこうい意味だったのか!」と別の意味だったことが分るという形で、回想シーンを使っています。

 

こういう効果的な回想シーンを観ていると、つい真似したくなるんですが、やはり基本的に物語は「時系列」で考えてそのまま表現した方が無難だと思います。

おそらく回想シーンというのは、使わなくて済めばそれに越したことはないんじゃないかなと思います。

というのも、回想による「懐かしい」という感覚は、ある程度長い時間を掛けて、時系列的に丁寧に物語を描いたから生まれるものであって、単発の短いドラマの中で回想シーンを入れたところで、そこに懐かしさは絶対に感じません。

ほんのついさっき観た場面で、登場人物にそれほどの愛着を感じていないんですから当然です。

 

回想シーンを使わない方が良い理由は、下手に使うと物語が分かりにくくなるからです。

 

私たちが回想シーンを効果的に使うとしたら、「こういう警告をされたよね?」というおさらいで1カットだけ見せるとか、「実は昔こんなことがあったんだ」という伏線を簡潔に説明するための短いシーンにまとめ事だと思います。

 

これは自分の作品を見直しての反省から来るんですが、回想シーンを使うのであれば、できるだけ短くする必要があると思います。

単体のシーンとしては不自然な「ダイジェスト」にすることも有効かもしれません。

理由は、そもそも私たちが作る作品の中の回想シーンは分かりにくいんです。

主人公たちの子供時代を思い出す回想シーンであれば、強制的に「ああ、昔の話なんだな」と分かりますが、さほど愛着が湧いていない登場人物が、ちょっと髪型を変えたくらいで数年前の回想シーンで登場しても、それが回想だとは気付けません。

そこで、シーンの繫ぎ目をわざと不自然にして、「ここからは通常のシーンじゃありませんよ」という表現を挟んで回想シーンに入ることが多いです。

できることであれば、回想シーンは全部モノクロにするくらいベタな表現にした方が安心なくらいです。

 

私が良くやってしまっている失敗は、回想シーンに入って、そのまま過去のシーンが複数続いてしまっているものです。

もちろん、回想から現実に戻る際も、わざと繋がりに不自然なパターンを挟んで、「はい、ここからは元の時系列に戻りました」という形にするんですが、改めてこれを見ると、どこからどこまでが回想なのか良く分からなくなりがちなんですね。

「ああ、今のくだりは回想だったのか。そもそも今はどういう状況なんだっけ?」という具合に、物語に浸って欲しい観客に余計な手間を掛けさせることになるんです。

それをしっかり把握し直して理解してくれる優しい観客は少数派です。

大多数は「何だか良く分からなかった」という感想を持つはずです。

私は作り手として、単純に褒められたいですから、この感想は避けたいんです。

 

ですから、回想シーンを使うとしたら、短くダイジェストにまとめることが有効だと思います。

長々と複数のシーンを連続して回想として見せるのはNGだと改めて思いました。

 

私は2005年に作った長編コメディー作品を、YouTubeで公開できるように、最近になった編集し直したんですが、分かりにくくなっていた「長い回想シーン」を短く分割して、別々の場所に配置し直しました。

ただ、多少分かりやすくななったとは思いますが、本来はシナリオの段階で、まずは回想シーン無しに時系列的に物語を構成することが望ましいと思います。

 

ただ、私は自分への戒めも込めて「シナリオが大事ですよ」と言ってはいますが、実際はどうしても完成度は低くなりがちです。

それも、根本的な「構成」が甘くなりがちなんです。

その甘さに事前に気付ければいいんですが、残念ながら編集を進めて、映像が形になってきて初めて、「あれ?構成が良くないぞ?」と気付くわけです。

こうなってしまったら仕方ありません。

どんな手を使っても、ストレスなく鑑賞に堪えうる形に改造する必要があります。

その小細工の一環として「一部を回想シーンにして、話のテンポを良くしよう」というような工夫をすることにはなるんですが、回想シーンとして使う際は、要点部分を残したダイジェストにまとめ直したほうがいいですよ、という提案です。

 

大抵の場合、構成を変更すると、せっかく撮影したシーンを削除することになったり、不自然になることを覚悟の上で追加撮影が必要になったりと、無駄が生じます。

繰り返しになりますが、少なくとも最初のシナリオの段階では、回想シーンはできるだけ使わず、過去から未来に掛けてシンプルな時系列の物語として描くことをおススメします。

 

ちなみに今回紹介した長編コメディ「弥生の風」は「男はつらいよ」へのオマージュ作品です。

公開していますので、宜しければご覧ください。

参考になれば幸いです。

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