禁じ手のソフトストーリー映像を作る意義

ソフトストーリーとは何か

人間ドラマを重視したエンタメストーリーに対して、ドラマの起伏が小さく、明確な結末のないような、雰囲気重視のストーリーをソフトストーリーと言ったりします。

シナリオの教科書などで時々取り上げられる種類のストーリーで、主に若い人の作品に良く見られる傾向だそうです。

若い人ほど自分の内面を見つめて作品を作りたがるものの、人生経験が少ないため、味わいのある物語に出来ず、表面的な体裁だけを整えた、薄っぺらなストーリーを作ってしまうとよく言われます。

 

普通は、「だから人間ドラマを描こうとしないといけないんだ」という結論に達します。

これは私も大賛成です。

ドラマを描こうとするからこそ、仮にセンスが無くてもある程度パターンに乗せることで、充分に「暇つぶし」として役に立つ小説や映画のような創作物を作れるのではないかと思っています。

 

ただ、ここでは、あえて「ソフトストーリー」を肯定してみようという訳です。

ソフトストーリー作品を企画してみる

ふんわりした雰囲気だけのソフトストーリーは、大抵の場合、観客には良く分からない内容だったり、単純に退屈で見ていられないものになりがちです。

でも、不思議なことに「自分の好きな映画」の中にもいくつか、そんなソフトストーリー的な作品があるのは事実なんです。

そしてやはり私も20代の頃から何度となく、ソフトストーリー的な小説を書いたり、映画を作ろうとしたりしてます。

 

私の場合、映画作品はどれも未完で終わっています。

その原因は、完成させるまでその作品に対してモチベーションが続かなかったことです。

目指すべき完成形が曖昧なので、その作業によって先に進んでいるのか、無駄なことをしているのか分からなくなってしまうんです。

ついには、「エネルギーを注いで完成させても、達成感を味わえそうにない」ということで頓挫します。

力づくで作品を仕上げる、という感覚も未熟だったこともあると思います。

今なら「とりあえず完成させること」を優先して仕上げられるのではないかと思うのです。

息抜きとして毛色の違う創作をする意義

私は普段、オーソドックスな物語の面白さを備えたドラマを作りたいと考えていて、映像の手法もグリーンバック撮影やミニチュアセットを多用した作品を、自作の特色としています。

ただ、昔から「息抜き」として全く毛色の違う作品を作りたい衝動にはかられるんです。

 

例えば、アクションシーンが多かった作品の後は、アクションが一切ないドラマを撮りたいと思いますし、セリフの多い作品の後は、「一切セリフが無い作品を作りたいなあ」という具合です。

一種の現実逃避ですが、「生涯で出来るだけ多くの作品を作りたい」と考えている私は、自分を飽きさせないために、内容や手法も違う創作をした方が良いかもしれない、と最近思うんです。

 

特に私の場合、映像の大半が特撮合成映像だったりするので、その準備や編集にとても時間が掛かるんです。

その作業は全て楽しいものですが、たまには特撮無しで撮りっぱなしの映像を繋げただけの作品を成り立たせてみたいと考えます。

こういう手軽な作品も作ることで、逆に映像合成に凝るときは、思う存分凝った作品を新鮮な気持ちで作れそうな気がします。

無計画でも走りだせる「映像創作」

とても乱暴な言い方をすれば、映像は深く考えて設計しなくても、撮影という作業が進められます。

もちろん、無計画に撮影を進めて、全体の整合性を取るのは至難の業で、天才でもない限り、作品は破綻します。

ですから普段は「シナリオをしっかり整えましょう」とお伝えし、生意気にも動画講座を配信していたりするのですが、事実として無計画でも撮影は出来ます。

文章を考えたり、絵を描いたりするのには技術が必要ですが、映像は録画ボタンさえ押してしまえば映像自体が収録できてしまう、という、ある意味では楽な創作なんです。

 

大まかな設定や展開のイメージは必要ですが、現地に行って、映像としてサマになる瞬間を撮影してきて、整合性を重視せず直感で映像を重ねることは、ある程度の映像製作の経験があれば出来ると思います。

撮影しながら物語のアイデアを考える、という邪道なやり方は、フィルムやテープの残量を気にせずに動画撮影できる現代ならではの、無駄遣い的撮影方法です。

編集で形にするための大前提になるのは、充分な分量の映像素材ですが、もしかしたらドキュメンタリー的な感覚で編集すると、独特の「味」が出そうな予感があります。

通常であれば、映像の繋がりがとても重要で、なんとか繋がって見えるように工夫するのが一苦労ですが、邪道なドキュメンタリータッチの作品であれば、映像の繋がりはある程度無視できます。

 

理想としては、即興の演技が出来る役者に出演してもらうことかもしれませんが、私が想定するのは、全く芝居をせず、淡々と行動だけする人が登場する作品です。

ポイントは、学生が作るソフトストーリー作品のように「海辺でたたずんでいる」というような退屈な映像にせず、登場人物には、意味不明でも何か作業をさせたり、意思を持って動いていることを表現することです。

見ていて飽きない映像にするため、歩いて移動するシーンは多めにしたいところです。

物語として、あるいは映像理論として辻褄が合わないところは、あえて「幻想作品としての演出」と言い張ります。

観客の想像力で、その動きに意味を感じさせてもらう作戦です。

ドラマ的な会話は殆ど入れず、詩的なナレーションを入れることで、いわくありげな世界観も狙えそうです。

 

塚本晋也が主演した「稀人(まれびと)」という映画があります。

私はこれを初めて見たとき、「随分雑な映像の作品だなあ」「素人っぽいなあ」「物語の意味が分からん」とかなりマイナスイメージを持っていたのですが、見終わるころには不思議な異世界感がクセになっていました。

けっして自分の好みに合う映画ではなかったんですが、「こういう映画もアリだな」と思ったんです。

ちょうど、安倍公房原作の映画「砂の女」のように、荒唐無稽さと生々しいリアリティが一緒になった感じです。

 

恐らく、こういう種類の作品は短期間で勢いを付けて一気に完成させる必要があります。

時間が掛かってしまって、「作品を作る意味」を考えてしまうと迷いが出るからです。

さまざまな「アラ」が気になる前に、いろんなことを割り切って完成させることに意味があります。

私は、「割り切りグセ・完成グセ」を養うためにも、定期的にこういうショートムービーを作るべきかなと思いました。

 

唯一懸念されるのは、これがうまく仕上がって、観客も映像を深読みして想定以上に評価されることです。

あくまでも私は、オーソドックスなエンタメ作品を作れるようになりたいので、こういう変則的な作品が変にサマになってしまうと、そういう作品ばかり作るようになってしまわないかと心配しています。

まあ、作る前から過剰に評価されてしまうことを心配するのもバカバカしいことですが、ちょっとアイデアはあるので企画書を書いてみようとは思っています。

もし、制作することになればご紹介します。

 

参考になれば幸いです。

(ブログ記事一覧)

DIY映画倶楽部のご案内

 

創作活動としての映画製作は最高に楽しいものです。

昔はネックだった撮影・編集環境も、現代では簡単に手に入ります。スマホをお持ちの時点で最低限の環境はすでに揃っているとも言えます。

  • 趣味がない人。新しい趣味で楽しみたい人
  • 自分の創作がしたい人
  • 映像作品に出演して目立ちたい人、目立つ必要がある人

にとっては最適の趣味であることに間違いありません。

 

ただ、実際の映画製作には多くの工程があり、全てのノウハウを一人で身に付けて実践しようとすると大きな労力と長い時間が必要になります。

 

DIY映画倶楽部は入会費無料の映画作り同好会です。

広い意味でのストーリー映像を作るためのノウハウを共有し、必要であれば技術的な支援もしながら、あなたの創作活動をお手伝いします。

詳しくは以下の案内ページをご確認ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です