CGではなくアナログ特撮を選ぶ理由・効率を超えた映画作りの楽しさ

なぜ特撮にこだわるのか?

「なぜCGを使わずにアナログの特撮にするの?」と聞かれることがあります。

例えば私の好きな恐竜映画。

確かにCGの技術を使えばかなり思い通りの構図で複雑な動きの設定が出来ます。

低予算の恐竜映画に出てくる恐竜映像は何ともチープで、CGの悪いところが目立っていますが、チープになる原因の半分は「見せ方」つまり演出で、本気でチープさを上手く隠そうとすればもう少しましには出来ると思います。

 

CGの便利さは、模型の材料も保管場所も不要で、作った模型が経年劣化で壊れる心配も無いことです。

それに加え、撮影も不要です。

パソコン内に作られた仮想のスタジオの中で、理想的な照明を設定し、とても一人では撮影できないような複雑なカメラワークも再現して、映像を作ることが出来ます。

映像を編集している時、「もっと違う角度でも撮影しておけば良かった」とか、「こういう動きをさせておけば良かった」という後悔は必ず生じます。

その時、CGであれば「撮影」という大掛かりな作業の代わりに、パソコン内での作業だけで必要な映像が作れます。

 

そんな便利なCGを何故私は使わないのか。

理由は単純で、私にとって面倒なアナログ特撮の準備こそ、映画作りの楽しさの中枢だからです。

昔から、特撮のカラクリを解説した書籍などを買いあさり、資料写真を穴のあくほど観察して、構造を想像して楽しんでいました。

 

映画の映像は必ずしも苦労して手に入れなければいけないものではありません。

極端に言うと、ネットにあふれているフリー素材の映像だけでも、うまく組み合わせれば映画は出来るんです。

綺麗で魅力的なフリー素材映像はたくさんありますから、見栄えのする映像は作れます。

でも、それが完成したとき、果たしてその作品に「自分が作った」という実感が持てるかという問題が発生します。

個々の映像は見ず知らずの誰かがどこかで撮影したものですから、当然、愛着がありません。

「あの景色凄かったね!どこで撮影したの?」

と言われて「あれはフリー素材」と答えると、「なあんだ、フリー素材か。感心して損した」という感覚になるものです。

 

CGはどこか、見栄えのするフリー素材で作った映像に近いところがあると思います。

もちろん、CGの映像は、自分で設計してデータを作り、動きなどの設定を自分で加えて作り込めば、間違いなく自分の作品なんですが、「この映像凄いね」と言ったときの80%くらいは、「知らない人が作ったCGソフトだけど、この性能は大したものだね」という意味合いが含まれてしまう気がするんです。

実際は、恐竜映像の皮膚の感じをリアルに出すために、色々と工夫して映像にしているのに、「この部分とか凄くリアルだよね、CGだとこういう表現が簡単に出来るんだろうね」という具合に、ソフトの力で簡単にできる、と一般の人も認識してしまうくらい、CGのありがたみが無くなっているのではないでしょうか。

CGソフトの技術が進むほど、その映像を形にした手柄の多くは、苦労して作業した人でなく、ソフト自身に取られていく気がします。

アナログ特撮がもたらす創作の醍醐味

それに対して、アナログ特撮はどうか。

恐竜の皮膚の感じを表現するための素材を何にするのかから始まって、リアルな動きにするための骨組みの構造をこうしてみようとか、塗料の種類や塗装法を工夫したり、という作業になります。

 

私は今、リアルな撮影が難しい「四足動物の歩行」ショットを楽に撮影するための、撮影用歩行装置の新しい試作品を作っているところです。

試行錯誤を重ねながら、今までにも数パターンの試作機を作っています。

こういった、回りくどい装置の工作は、CGに比べてはるかに効率が悪いかもしれません。

でも、最近感じることがあります。

映画作りには「映像」が必要で、その映像は効率よく手に入れるに越したことは無いはずなんですが、そこにCGというブラックボックスが入ると、途端に魅力が半減することが多い、ということです。

CGのように、「この選択をして数値をこうすれば質感や動きがリアルになる」という、ソフトの仕様としてのブラックボックスに頼るのではなく、その工夫も仕組みも、メイキングの現場を見ればタネが分かる、アナログ特撮の方が、作る方も見る方も、満足度が高くなることが多いと私は感じます。

 

これは、もしかしたら私の創作レベルがまだまだ低いせいで、「映像をどうやって作るか」にこだわっているだけとも思えます。

自分が発想した「物語」を形にするという、高い視点に立てば、映像をCGで作ろうがアナログ特撮で作ろうが、そこに差は無いのかもしれません。

そもそも、その高い視点で映画作りを目指している人は、初めから映像づくりの手法の話には興味がないと思います。

創作の価値観は多様なほど楽しい

作家の京極夏彦という人は、自身の小説に関して、「文章がページをまたがない」という独自ルールを実践している人です。

これは、小説執筆においては明らかに余計な手間です。

文章の途中でページをめくるということに、それほど不都合があるとは思えませんし、常にページの中で文章が完結している事で面白さが変わるとは思えません。

実際、私は言われるまで、そのルールに気付きませんでした。

 

「文章がページをまたがないことに意味はあるんですか?」

と聞かれて、京極氏本人は、

「分からない。でもそこに何か意味があると信じて実践している」

と答えています。

 

自分の作品として映画を作る上で、映像をどういう手法で手に入れるか、というのも、これに近いのかもしれません。

フリー素材でも見栄えがする方がいいという人もいるでしょうし、CG映像が好きな人もいます。

でも私は元々工作が好きですし、今のところ「アナログ手法に意味があると信じて実践している」ということです。

それは、「自分の手で作った映像で構築した映画を完成させたときの満足感」を味わったことが根拠になっています。

創作活動の満足感をどこで感じるかは人それぞれです。

特に共同作業をする場合は、むしろ価値観が違う人が集まった方が、関わったそれぞれの人が楽しめる可能性が高い気がしますがどうでしょうか?

 参考になれば幸いです。

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