ディオニュソス型 vs. アポロン型:創作の哲学と量産体制の融合

オリジナルの追求は理想なのか?

「本来、創作者は独自の世界観を持ち、全てにおいて新しいものを追求すべきだ」という考え方があります。

我々がイメージする「孤高の作家先生」がこれにあたります。

これを哲学者ニーチェによる定義ではディオニュソス型と言うそうです。

 

もちろん、これに挑戦するのは自由ですし、その挑戦には独特の楽しさもあるはずです。

ただ、創作にはエンタメの要素があります。

つまり、「この世で自分だけが楽しめて満足できればそれでOK」という訳ではない筈で、自分以外の誰かもその創作物を鑑賞して楽しんでもらえてこそ、作った甲斐があるというか、一回り大きな自己満足が得られます。

そこで重大な事実は、

  • 面白いと感じる構成や要素にはパターンがある
  • 面白いと感じるパターンはそれほど多くない

という点です。

 

つまり、完全オリジナルを追求するということは、せっかく存在している「人々を楽しませるパターン」をあえて外して、それ以外のパターンを新発見しなければいけないということです。

正直言って、これはほぼ不可能だと思います。

恐らく、「見たこともない新しい話」は作り出せても、面白くは無かったり不快になる内容になる可能性が高くなります。

「面白い、楽しい」と感じられるパターンをあえて外すのですから当然です。

 

意識するとしないとに関わらず、存在する物語の多くは、民話やシェークスピアなどの既存のパターンを踏襲しています。

「面白さ」に「新しさ」を加えるために現実的なのは「要素の新しい組み合わせ」だけで充分なんです。

 

そこで最初から「新しい組み合わせ」だけで作品を作る考えがあります。

これをディオニュソス型に対して、アポロン型と言います。

アポロン型は模倣から出発するタイプです。

過去に自分が楽しんだ作品を分析して、その要素を盛り込んだ新しい作品を作ろうとするのがこのタイプです。

もちろん、私はディオニュソス型を目指す天才ではないので、現実的なアポロン型で作品を作ります。

せっかく作るなら、「この作品、奇をてらってるだけで不快だよね」と言われるのは残念過ぎるからです。

ちなみに前述のシェークスピアも全34作中30作は過去の演劇や小説を元にしているアポロン型です。

流用率を上げる理由と工夫

ちょっと腰を据えて映画を1本作ろうとすると、かなり手間と労力が必要なことがわかります。

例えば、精巧な作りの小道具。

 

物語の中に必要な小道具を作るとします。

その小道具が無くてはシーンが成り立たないから用意するわけで、多くの場合、少なくとも一瞬は画面にはっきりとアップで映ります。

アップになったときにあまりに稚拙な出来だと、観客が白けてしまうため、必要最低限にはリアルに作り込みます。

でも、残念ながら、例えば一週間かけて作り込んだ小道具がアップで映るのはほんの2秒間だったりします。

要は、なかなか割に合わないんです。

ここにジレンマが生まれます。

 

私がおススメするのは、せっかく準備するものは全て「流用」を意識することです。

 

例えば、衣装として医者が羽織る「白衣」を用意したら、その白衣は撮影後すぐに捨てずに、別の作品でも使えると考えるのではないでしょうか?

小道具も同様に、別の作品でも使うことを想定すれば、安心して工作に十分なエネルギーを注げるんです。

 

私は全編にわたって人物と背景を合成する「升田式スーパープリヴィズ法」で作品を作っている関係で、室内シーンのためにミニチュアセットを作ることが多いんですが、そのセットも出来るだけ汎用性を持たせるように工夫しています。

つまり、壁と床は組み立て式にして、家具や什器はその都度組み合わせを変えて並べることで、同じ材料で違う部屋を表現できるようにしてるんです。

特に窓については、窓枠ごと磁石で壁にくっ付けることで、壁を作り変えることなく

  • 窓の有無
  • 窓の種類や位置の変更

というバリエーションを作れます。

 

ほんの数種類の壁を用意することで、かなり多くの室内セットが作れます。

部品を流用するので、保管場所も増えません。

 

この発想の元になったのは、手塚治虫の提唱した「スターシステム」です。

手塚治虫の漫画には、別の作品に登場した人物がそのままの姿で登場したりします。

そのキャラクターを「俳優」として扱っているんです。

これは、新たなキャラクターをゼロから生み出すコストを減らす効果もありますし、ファンにとっては「あのキャラクターを別の作品でも見られた」という楽しみにもなります。

 

私はこの考えを、キャラクター以外の小道具やミニチュアセットにも応用したら、メリットが大きいと考えます。

ある作品に登場させたモンスターを別の作品に大きさや設定を変えて登場させることは、B級映画の帝王と言われたロジャー・コーマンの得意技ですし、他の工作も流用前提なのでレベルの高いものが準備出来ます。

作品を作り続けるほど、どんどん新規の準備が少なくなるため、製作コストが減り、さらに量産が楽になります。

 

作品の量産は間違いなく質も高めます。

経験値の少ない段階で、時間を掛けて1つの作品を作り込むより、作品を完成させて得られる反省点を次に生かす「数」をこなした方が、圧倒的に「質」が高くなるんです。

質の高いものは、見ていてストレスが少なく、より楽しめる作品になりやすいです。

 

このような理由からも、私は創作活動の工業製品的な面を意識して、「流用」を心掛けているわけです。

参考になれば幸いです。

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自分で原案を考え、脚本化したストーリーを元に一つ一つのシーンを撮影して形にしていく「自主映画制作」という趣味では、とても大きな満足感を味わえます。
仮に誰にも完成品を見せずに一人で鑑賞するとしても、えも言われぬ達成感、大げさに言えば作品の中とはいえ「世界を創造した万能感」に浸れるのが映画作りです。

さらに、他の人に作品を見せて高評価を得られたりすると、とても嬉しい気持ちになります。

特に現代は自分から情報を発信する手段がたくさんあります。
一般の人が自分で撮った写真や文章を大量に公開する時代です。
公開して得たい「承認欲求」は思いのほか強く、自分で作った映画はその最大級の満足を生み出す可能性があります。

ただ、難点を挙げるとすれば、「写真を1枚撮って画像加工アプリで仕上げれば完了」というような手軽さが「映画作り」には無いことです。
実際にはとても大きな満足感と引き換えに、そこそこめんどくさい作業を伴うのが映画作りです。
(そこがまた、面白いところでもあるんですが)

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