アナログ世代の強味

最近はもの作りの現場にもコンピュータが当たり前のようにあります。昔はそれぞれの分野の専門家が身に付けた技によって作っていた物と同じような物が、コンピュータのオペレーションに慣れるだけで作れる時代です。製品の均質化、標準化には極めて有効で、生産性の向上にコンピュータは非常に有効でした。

例えば個人レベルでの映像編集はほぼ100%パソコンを使って行う時代です。しかし、10数年前の時点では、簡易編集機能を持つビデオデッキとカメラを繋いで、直接コピーをしながら編集していました。編集済みの最後の映像部分で録画待機状態にしておいて、次に繋ぐ映像を少し前から再生する、編集したいポイントがきたら一時停止を解除して続きをコピーする、ということをカット数だけ繰り返すのです。一時停止解除のボタンを押してから、実際に録画が始まるまでにはわずかにタイムラグがあります。それを見越してその分、早めにボタンを押すという、非常に原始的な作業ではありますが、調子が良ければ1/3秒くらいの精度で編集できました。これが疲れてきて集中力が鈍くなってくると段々と失敗が多くなってきてやり直す事になります。

こんな事を笑い話として話していたら、音楽をやっている人も全く同じような、原始的な作業をしていた経験がある、という事で意気投合したのですが、「こういうアナログな経験をしている人と、初めからパソコンで簡単に編集してきた人とでは、問題の解決能力が違う」という話になりました。最近の世代の人は、本来はコンピュータ無しに出きるはずのことも、コンピュータがなければ出来ない、発想力が無くて脆いというのです。

コンピュータの特徴というのは、色々な機能を、仕組みを知らずに使える、ということです。そしてさまざまな状況に合わせて、あらかじめ設定が用意されています。それが当たり前だと思っている人は、ちょっと条件が違うことや元のメニューに無いことをやろうとしたときに、どうすればいいか考えられないようです。思い当たるふしはいろいろ思い出します。

極端にいうと、紙と鉛筆があれば出来るはずの小説執筆も、パソコンのワープロソフトがないと出来ない、ということになっていきます。遊びも、ゲームに頼っている限り限り、電気がないとできません。電気に頼るメディアは脆いメディアです。

私も趣味の活動にパソコンを使いますが、パソコンや電気が無くてもできる、頑丈な趣味というのも確保しておきたいなと、つくづく思うのです。

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