映画は工業製品? 芸術? 両方の視点から考える:人物映像の別作品流用は暴挙か?
映画を工業製品的に考えてみる
「映画は芸術だ」という価値観の人には理解されにくいと思いますが、私は、映画というのは半分、工業製品だと思っています。
全体を設計して、効率よく工夫しながら撮影・編集をしていって、編集途中の状態を確認しながら修正を加えていく工程のほぼ全てで、道具として機械製品を使っている点なども、工業製品と同じです。
映画の中の「芸術」の部分などというのは、その工業製品的土台がしっかりと構築出来ている事を前提に、プラスアルファとして付加するものではないでしょうか。
少なくとも私は特に才能が秀でているわけではないので、プラスアルファを表現する余裕は全くありませんし、たとえ工業製品的に淡々と作ったとしても、「どうしてもやってしまう無駄な工夫」などに現れる「作家の個性」だけで充分楽しいのではないかと思っています。
その工業製品的土台の部分というのは、演出を担当する「監督」の立場ではあまり面白くは無いのですが、作品全体を管理する「プロデューサー」の立場では、意識しないと条件内で完成しませんし、それはそれで面白い要素も多いと思うんです。
流用率を上げるメリット
「流用」というのは、工業製品でよくある工夫です。
例えば自動車メーカーが新車を作るとします。
外見的にはガラッとイメージが違っていたとしても、全ての部品を新しく設計して作るわけではないんです。
エンジンやタイヤ、電気系統の部分は前の車と全く同じだったりします。
そうすると、全てを新規で作る場合に比べて、場合によっては半分以下の開発費で新型車を作れるんです。
ですから、既に出来上がっている部品をいかにうまく利用するか、ということが重要になってきます。
そこで浮いた予算や時間を、こだわりたいところに振り分けることもできるからです。
絵画や小説、音楽といった創作活動では、「流用」という工夫は出来ないかもしれませんが、工業製品的要素が多い「映画」では、実際に「流用」が有効的に使えるんです。
実際の流用例
一番分かりやすいのは、「ストック素材」を流用することです。
その1カットだけ単独で使用する場合、新規でその作品のために撮影するのではなく、ストックしておいた映像を使うのは一般的です。
- 飛行機の離着陸シーン
- 災害の映像
- 街中の雑景
などはイメージしやすいでしょう。
昔の映画では、恐竜がケンカをしているシーンの映像がよく使い回されてました。
オオトカゲとワニにヒレや角をくっ付けて恐竜に見立て、実際にカメラの前でケンカさせている映像を見たことがあるのではないでしょうか?
全く同じ映像をいくつもの映画の中で見ることができます。
「死亡遊戯」という作品があります。
既に主演俳優が死去した後に作られたという特殊な作品なので、過去作品からの映像をあちこちに流用しています。
基本的にはそっくりさんが演技をしていて、ところどころの顔のアップは過去作品の顔のアップを流用することで、主演俳優が生きているように見せようとしているんです。
もっと分かりやすい例は、アニメーションのテレビ番組で見られます。
例えば、合体ロボットものの合体シーンや変身シーンなど「お決まりの一連シーン」。
一度作った場面を毎回流用することで、ものすごいコスト削減になるだけでなく、視聴者である子供たちはその場面を毎回飽きもせず楽しみにしているんです。
流用を意識した極端なアイデア
特にシリーズもののドラマでは、毎回、似たような場面が登場します。
刑事ドラマなどもパターンがかなり限られています。
音を消して見れば、毎回同じ撮り方で区別が付かないシーンがいくつもあるんです。
仮に、吹き替え映画にすることを前提とすれば、同じような撮り方のシーンは毎回使い回せるのではないでしょうか?
なぜそんな事をするかと言えば理由は簡単で、それで空いた時間で別のシーンを撮れるため低コストでたくさんの作品を作れるからです。
シリーズを続けるうちに、「お決まりのシーン」を増やしていけば、流用できる映像が増えていき、組み合わせのバリエーションも増えます。
その「流用できる映像」つまり「ストック映像」が充実すると、毎回、そのエピソード特有のシーンだけ新規で追加撮影して、50%は流用映像で構成することも可能なのではないか、と考えています。
例えば、シャーロックホームズのような探偵もののシリーズを考えてみます。
エピソードごとに新規で撮影するのは、探偵や助手以外の登場人物のみにします。
第三者による事件のシーンや事件の背景となるドラマシーンということです。
事件の調査依頼が来るシーンをはじめ、探偵事務所内ではいろいろな推理をしたりする会話劇がありますが、これは全て流用映像を使います。
つまり、主人公は一切の新規撮影をしないんです。
補助的に、探偵が事件現場にいる映像が作れるように、いくつかのパターンのグリーンバック撮影映像もあるといいでしょう。
もちろん、毎回話が違いますから、事務所内での会話も、台詞は違います。
そこで、作品全編を吹き替え映画にするんです。
吹き替え映画なら口の動きが大体合っていれば違うセリフに差し替えられます。
30分弱のドラマであれば、15分は流用映像シーンにして、新規撮影は15分ぶんだけに出来るかもしれません。
流用ドラマの使い道
もちろん、「こんな手法で作った映画など作ってもしょうがない」という意見もあると思います。
実際のところ、どの程度のクオリティの作品が出来るのかは未知数です。
ただ、確実に言えるのは、映像の種類に縛りはあるものの「自分が文章で書いた物語を映像に変換したい」という欲求にはこたえることが出来ます。
しかも、かなりの低コストでです。
恐らく、物語の基本構成は定型で、穴埋め方式でシナリオを書くことになるでしょう。
オリジナリティに制限はありますが、工夫次第でそれなりに楽しめる作品群になるかもしれません。
自分で作った物語が映像作品になるというのは、大きな魅力があります。
多大なコストを掛けて完全オリジナル作品に挑戦する前に、このような作品を作ってみてはどうでしょう?
考えてみれば人気時代劇のシリーズなどは、完全定型フォーマットです。
「遠山の金さん」の人気シーンである「アクションシーン」と「お白洲シーン」は、仮に毎回全く同じ映像を使っていても気付かないかもしれないんです。
それを考えても、可能性がある手法のような気がします。
いずれ、定型部分の映像をこちらで用意して、それぞれが別エピソードを作るようなオンラインワークショップを企画してみたいと思います。
参考になれば幸いです。
オンライン講座「超実践的ストーリー映像製作講座・概要編」のご案内
この講座は、低予算で映画を作りたいアマチュア向けに、エンタメストーリーの作り方と映画制作の「裏技」を紹介するものです。
プロのやり方にこだわらず、簡単にオリジナルの映像作品を作る方法を教えます。是非、内容をご確認ください。
オンライン講座「超実践的ストーリー映像製作講座・概要編」の詳細はここをクリック
自分で原案を考え、脚本化したストーリーを元に一つ一つのシーンを撮影して形にしていく「自主映画制作」という趣味では、とても大きな満足感を味わえます。
仮に誰にも完成品を見せずに一人で鑑賞するとしても、えも言われぬ達成感、大げさに言えば作品の中とはいえ「世界を創造した万能感」に浸れるのが映画作りです。
さらに、他の人に作品を見せて高評価を得られたりすると、とても嬉しい気持ちになります。
特に現代は自分から情報を発信する手段がたくさんあります。
一般の人が自分で撮った写真や文章を大量に公開する時代です。
公開して得たい「承認欲求」は思いのほか強く、自分で作った映画はその最大級の満足を生み出す可能性があります。
ただ、難点を挙げるとすれば、「写真を1枚撮って画像加工アプリで仕上げれば完了」というような手軽さが「映画作り」には無いことです。
実際にはとても大きな満足感と引き換えに、そこそこめんどくさい作業を伴うのが映画作りです。
(そこがまた、面白いところでもあるんですが)